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2008年2月14日 (木)

真昼の静かな町に昭和の元気な時代を想った。08年2月14日

昨日はゴウゴウと風が吹き荒れていた。この冬最大の寒波と言っていたように、道路の水たまりはスケートリンクのように凍っていた。

今日は風は止み、日射しが暖かい。母は昨夜よく眠れなかったようだ。入浴介助の日なので、頭をすっきりさせようと葛根湯を飲ませた。入浴後、今日は休みたいと言う母を「外へ出た方がよく眠れる。」と説得して連れ出した。玄関を出ると、真っ白な富士に、積雪の見える秩父連山がくっきりと見えた。

東京北社会保険病院の冬木立が美しい。すでに新芽は膨らみ、梢は早春の色合いに変化していた。しかし、路傍は堅く凍って、足で蹴ると水晶のような霜柱がキラキラ光った。

公園での母の歩行は止め、そのまま駅前へ買い物へ行った。明るい人気のない時間が止まったような町並みが懐かしい。
40年昔、彫金職人の修行をしている頃、午前中は使いに出された。行き先は巣鴨にある問屋さんだ。
今日のような静かな十条の町をのんびり歩き、十条駅から板橋駅へ一区間だけ電車に乗った。今は埼京線と名前が変わったが、当時は赤羽と池袋を結ぶ赤羽線と呼ばれ、羊羹色の電車が走っていた。
板橋駅から、近藤勇処刑の碑の前を通って滝野川の旧中山道跡の板橋商店街を抜け、明治通を池袋方面へ歩くと、その裏通りに目的の問屋があった。旧中山道跡の商店街には、映画館の弁天座に、種苗問屋に、亀の子タワシ本舗の本社など、戦前の古い建物が沢山残っていて楽しかった。お使いが長引いて昼にかかる時は、昼食代1000円を貰って出た。サラリーマンの平均給与が3万くらいの時代である。1000円でも質の良い昼食ができたが、私は更に小遣いを上乗せして、いつも1500円程の食事をしていた。

私は大変に我が侭な弟子で、師匠は後悔していたと思う。お使いに出せば、のんびり遊んで帰るし。奥さんが心を込めて作った食事を、平気で不味いと文句を言うし。突然、休みを貰って旅行へ出かけるし。給料の前借りをするし。今思い返すと恥ずかしいことばかりだ。しかし、そのような私でも受け入れてくれる場のある、大らかで元気の良い時代でもあった。当時は、格差社会等の言葉はなかったような気がする。社会に格差はあったが、それは努力が足りなかった結果で、真面目に頑張れば、誰でも普通より上の生活を手に入れることができた。

そんなことを考えながら、寂れた赤羽商店街を車椅子を押した。昔は昼間でも人通りが多かったが、今は近くの大型店に客を取られひっそりとしている。35年間馴染みの薬屋で買い物をし、帰りは、八幡神社脇の長い師団坂を上り星美学園前から東京北社会保険病院を抜けた。東京北社会保険病院の庭にはハクセキレイが1羽、ピヨンピョンと餌探しをしていた。警戒心が薄く2,3メートル近づいても逃げない。病院を訪ねる人は皆優しく、脅かしたりしないのだろう。通り過ぎてから振り返ると、後ろから来た見舞客らしき中年女性が佇んでハクセキレイを眺めていた。

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