« 食品売り場で「農薬入りの中国冷凍餃子が食べたいな。」と母は冗談を言った。08年2月1日 | トップページ | 節分の雪。雪の朝 紅さす君を幻に 08年2月3日 »

2008年2月 2日 (土)

アキレス腱断裂以来、遅刻しても絶対に走らないことにしている。08年2月2日

朝、ゴールデンのルイちゃんちの前を通ると、車椅子の気配を察したルイちゃんが家から飛び出して来て、冊の隙間にゴツンと鼻先を突き出した。耳や首筋をムニュムニュしてあげると大喜びで甘噛みする。しかし、家に大好きなお母さんがいるようで、直ぐに脱兎のごとく駆け戻った。「今の内に行こう。」と母に言うと「可哀想だから待つてあげようよ。」と言う。ルイちゃんは直ぐに駆け戻り、再びグシャグシャに甘噛みした。そしてまた、猛然と家の中へ。まるで盆と正月が同時に来た子供のようなようなはしゃぎ様だ。そんなことを5回ほど繰り返した後、テニスボールをくわえて来た。投げてほしい様子なので、ボールを取ろうとするが放さない。その内、ボールは落ちて庭へ転がって行った。追いかけてルイちゃんが庭奥に消えた隙に私たちは離れた。大きな図体なのに、することはまだ子供だ。別れてからもしばらく、笑顔が頬の辺りに残った。

緑道公園の陸橋で休んでいると、お洒落をした女の子が駅への道を走って行く。デートの待ち合わせに遅刻しそうなのだろう。ブーツが良く似合う子で、膝小僧辺りが可愛い。
「慌てて走ると、あぶないよ。」私は遠く去って行く女の子に小さくつぶやいた。

その言葉には苦い思い出がある。
20年昔、鎌倉の近代美術館でデートの待ち合わせをして大遅刻したことがあった。11時半待ち合わせなのに、目覚めたのは10時。それから着替えて飛び出しても着くのは12時半。今なら携帯で連絡できるが、当時は連絡の方法がない。猛ダッシュで家を飛び出し、赤羽から京浜東北線で東京駅へ11時に着いた。鎌倉行きの急行は発車寸前。発車ベルがホームに響く中、閉まる寸前のドアに飛び込んだ。これで40分の遅刻で済む、と安堵したのはつかの間、すぐに左足の異常に気づいた。ペタンペタンとつま先の踏ん張りが利かず、踵だけで歩いている。すぐに2年前の右足アキレス腱断裂が蘇った。前回は踵を丸太でぶん殴られた感じだったが、今回は殆ど衝撃がない。しかし、アキレス腱をつまむとはっきりと断裂箇所が分かる。深い後悔と同時に、「これで遅刻の言い訳が出来る。」と、私は馬鹿なことを考えていた。

それからは悪夢の連続だ。次の停車駅、品川で下車して、鎌倉の近代美術館へ電話を入れ、彼女を館内から探し出してもらった。10分程で見つかった彼女は「30分も遅れて、何してるのよ。」と怒っていた。怪我のことを手短に伝え、それから、我が家近くの国立王子病院に電話して、救急車で行くから受け入れてくれるように頼んだ。

駅員が要請した救急車に運ばれ、救急隊員に受け入れ病院を伝えると、救急車は東京都の南端から北端の赤羽まで縦断してくれた。隊員はこんなに長く都内を移動したのは始めてだと話していた。
病室に落ち着いてから母に電話し、身の回りの品を持ってきてもらった。母は別段驚きもせず「また、馬鹿やって。」と言い放つと、荷物を置いてすぐに帰って行った。

前回の右足の時は、池袋で友達との待ち合わせに遅れ、猛ダッシュしたのが原因だった。さすがに二度目の断裂には深く反省し、以来、どんなに遅刻しても走らないようにしている。その反省のおかげで、転んだり怪我したりすることはまったくなくなった。

ちなみにアキレス腱断裂の原因だが、私のケースでは左右とも前駆症状としてアキレス腱炎があった。普通に歩いていてアキレス腱の辺りが痛み、熱を持っているように感じていた。そのような場合はアキレス腱が弱くなっているので気をつけるべきだ。

Koharu1_3

|

« 食品売り場で「農薬入りの中国冷凍餃子が食べたいな。」と母は冗談を言った。08年2月1日 | トップページ | 節分の雪。雪の朝 紅さす君を幻に 08年2月3日 »

心と体」カテゴリの記事