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2008年2月 8日 (金)

母は一過性に依頼心が強くなった。08年2月8日

自然公園での顔馴染みに80代のおばあさんがいる。10年前まで、福島で息子が手広く不動産屋をしていたが、倒産して、一家で上京して来た。息子は再起をかけて無我無中で働いていて、おばあさんの相手はできない。出会った頃、母に「奥さんは息子さんに世話してもらって、羨ましい。」と、朴訥な福島訛りで話していた。しかし最近は、公園で沢山知り合いが出来て、明るく楽しそうだ。

今日、会うと、「雪が続いたので、出かけないで家にこもっていたら、頭がおかしくなりました。」と母に話していた。それは母も同じで、昨日、私が忙しくて1日散歩を休んだだけで、夕暮れには暗い顔をしていた。暗くなると、却って手がかかるようになる。だから、忙しくても出来る限り散歩は休まないようにしている。

昨日の午前中はヘルパーに入浴介助を頼んだ。
入浴が終わった後、食間の薬を持って行くと母は口を開けて待っていた。
「小さい子供じゃあるまいし。薬くらい自分で飲みなよ。」
厳しく言うと、母は直ぐに正気に戻って、照れながら自分で薬を飲んだ。入浴介助のヘルパーはとても良い人で、こまごまと母の相手をしてくれる。それに慣れた母は、一過性に依頼心が強くなったようだ。老人に優しくする度合いは難しい。

老人施設に入った知人達が急速に老いて行くのをよく目にする。その一因に、施設の面倒見の良さがあるのかもしれない。介護のプロの職員は、当然、入所者へは自立を促すように接している。しかし、忙しいと、つい老人任せにできなくて手伝ってしまう。
私も母がノロノロと服を着たり、靴を履いたりしていると、早く済ませたくて手伝いたくなる。しかし、そこをぐっと我慢する。もし、手伝ったりすると、母の老いは一歩進むことになる。

昨日の午後は池袋ビックパソコン館へプリンターインクを買いに出た。ポイントが溜まっていたので、ついでにプリント用紙を買っておいた。
その後、ビック本館で薄型テレビを見た。仕事部屋のテレビが壊れ買い替えなくてはならない。液晶の価格下落が大きいと聞いていたが、店頭の目玉商品の14型が2万4千円とは驚きだ。安くなるのは有り難いが、この下落率は不健全な気がする。それは、この商品に関わる総ての業種での利益率が下がっていることで、社会に横溢する閉塞感の一因になっている。

ついでに、ソニーの11型有機ELテレビを見た。3ミリ厚の本体はボール紙のように薄い。店頭での画質の比較は難しいが、動きの滑らかさは断然優れている。液晶は、表示テクニックで残像を無くす工夫がされている。しかし、根本的解決ではなく、最新製品でも激しい動きの時は気になる。発光のオンオフのスピードが有機と液晶では圧倒的な差があるから、液晶のブレは絶対に解決しない。
表現力だけでない。製造コスト、低電力、薄さ軽さ、どれを取って将来的に有機ELは液晶を上回る。5,6年後、テレビの大半は有機ELに代わる予感がした。その頃14型液晶は1万程に下落していそうだ。

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