久留米、母の実父の思い出。08年3月16日
散歩の道々車椅子の母が、最近、実の父親の事を毎日思い出す、と話した。その人は私の血のつながった祖父である。
明治末期、近衛師団帰りの祖父は女性にもて、日に日に遊びに身を持ち崩して行った。そんな祖父に曾祖父は怒り、勘当して実家は祖父の弟に継がせた。弟は誠実に実家を守り、その子供たちは揃って出世した。一方、祖父の方はなすことすべて巧く行かず、母は2歳の時、養女に出された。貰われた家については、このブログの初回「崖の上の家。吉原、遊郭。 2002年8月2日」に触れている。それはヤクザで破天荒な家で、その反社会的な気風は私に伝わり、絵描きを選ぶきっかけになった。
母が久留米荘島小学校二年の時、突然、養父が教室に迎えに来た。母はすぐに人力車に乗せられ、門構えのある家に連れて行かれた。玄関先で待っていた若い女性は慌ただしく奥の部屋に母を案内した。その部屋には40歳程の男性が布団に正座して待っていた。そして、傍らに久留米絣の少年が暗い顔で控えていた。
「千代しゃんか。大きくなったね。」
男性は嬉しそうに言った。その言葉に案内した女性は泣き崩れた。母は周囲の様子から男性が間もなく死ぬと感じた。しかし、目の前に凛として正座するその人が、すぐに亡くなるとは思えなかった。母はその人より、傍らでピーピー泣いている女性が、大人のくせにみっともない、と気になった。母は帰りがけ、養父に今会った人が誰なのか聞きたかったが、何も言わず人力車に乗った。
後年、正座して待っていたのは実の父親で、傍らにいたのは清兄だと知った。祖父の死は久留米第一銀行に職を得て、安定した生活を送り始めた矢先だった。母の実母は母2歳の時に早世している。だから、案内した女性は後添えである。祖父の死後、彼女は長崎の資産家と再婚し幸せな一生を送った。
母を含め、実の祖父の子は総て波乱に満ちた生涯を送ることになった。母の兄、清伯父は戦後進駐軍相手の仕事で大儲けし、一財産を作ったが、後年子供たちに総て使い果たされ、老人ホームで寂しく死んだ。
ところで、仕事の方は編集部と確執続きで、ストレスが溜まる一方だ。覚悟していたので驚きはしないが、小説家が短命なのがよく分かる。このうんざりする仕事を片付けたら、絵を思い切り描きたい。これから深夜まで、新しく原稿を書き、明朝、編集部へ送信する。この文明の利器は、相手と顔を合わせずに済むので助かる。
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