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2008年3月 9日 (日)

何もしない選択肢。08年3月9日

8日土曜日
カリブの海賊が好きだ。ディズニーランドへ行くと必ず乗る。映画も全部見た。あの無茶苦茶な無鉄砲さは楽しい。物語と実態はかなり違うと思うが、荒海へ乗り出し死を恐れずに太く短く生きたのは間違いない。彼らが無鉄砲になれたのは、穏やかに生活していても30代でコロコロ人が死ぬ時代だったからだ。どうせ死ぬなら、海賊で一花咲かせようと思ったのだろう。だから、平均寿命が長い現代人に真似できることではない。
カリブの海賊でも、現代にいて福祉と医療で80代の寿命を保証されたら、あのような無鉄砲な生き方はしない。安定は人を臆病にし、細く長く平穏に生きようとする。

しかし、臆病な現代人でも死をテーマにしたお化け屋敷やスリルとサスペンスのドラマ、死を疑似体験させるアトラクションは好きだ。絶対に死なない状況で、ドラマを楽しみ、ジェットコースターで落下したり、回転し壁に叩き付けられそうになるのを楽しむ。それは檻の中の猛獣のように、死を間近に見物できるから楽しいのだろう。しかし檻はやがて壊れ死が牙をむくことを忘れている。

五年前、89歳で母に肝臓ガンが発見された時、大きさは40ミリを越え切除は難しかった。セカンドオピニオンで、家庭医と知人の医師に相談すると、どちらも「何も治療しないのも一つの選択肢です。」との答えだった。何もしない選択肢、とても魅力ある言葉だ。死に対しては、権力者でも、宗教家でも、極貧でも、金持ちでも、凡人でも、天才でも、何もしない選択肢しか残されていない。これは笑ってしまうほど清々しい平等さだ。


死の寸前まで、立派にギリギリまで生きよう。この言葉は凡人達を苦しめる。しかし、終わりの気配を感じた時、何もしない選択肢を選ぶことなら誰にでもできる。
私は死に瀕してまで、頑張れと励まされたくはない。まだ若く、生き直すチャンスがあるのなら、頑張る価値はあるが、老いて死を迎えるのなら、静かにだらしなく死にたい。

私は祖母と父を自宅で介護し、家庭医の協力の上で私が脈を取って看取った。祖母と父は死の数ヶ月前から、自ら「何もしない選択肢」を選んだ。強い性格の祖母がそうしたことは予測できたが、人一倍死を恐れ、へこたれだった父が「医者を呼べ。」とか「入院させろ。」とダダをこねずに、最期の数ヶ月、静かに寝ていたのは意外だった。黙って天井を見上げている父を介護しながら、弱虫の父にできることなら、私にでもできると、死が少しだけ怖くなくなった。

9日日曜日
暖かい好天で、自然公園には近所の親子の団体が遊びに来ていた。管理棟の日溜まりで母とお茶を飲みながら、彼らを見物していた。

子供たちはロクロを使った火起こし体験をしていた。ロクロとは伝統工芸の用語で、コマの長い縦棒を弓と連結した紐で回転させる道具だ。彫金をしている頃、私はその先に錐を付けて金属の穴開けに使っていた。操作は難しくはないが、親子の下手な手つきを見ていると気になった。

その内、ロクロの一つが紐が切れて使えなくなった。ロクロの紐は切れやすいので古来革紐を使う。私は更に丈夫な登山用のナイロンの補助ロープを使っていた。3ミリの太さだが、70キロの大人がぶら下がっても切れない。それを2メートルほど、非常用に車椅子のポケットにしまっていたので、それを持って行って切れた紐を取り替えてあげた。

しかし、大人も子供もおとなしい。紐を取り替えてもらっても、嬉しいのかどうなのかさっぱり分からない。母の所に戻って、しばらく親子たちを眺めていたが、ぼんやり座り込んでいる子供が多く、実に静かだった。

私たちが子供の頃は、休みなく跳ね回りかけ回り、引率者が怒鳴り声で制止しないいかぎり、地面に腰を下ろすことはなかった。このエネルギーのなさをみていると日本の未来が不安になる。

緑道公園の辛夷が咲くと自然公園の石垣の間から青トカゲが顔を出す。しかし、まだ1輪も開いていない。しかし、クヌギは、冬の間新芽を守っていた枯れ葉を落し始めた。春は直ぐ傍まで来ているようだ。桜広場で、
「おじさん。元気でいなよ。」
ベンチで休んでいた老人が帰って行く仲間に声をかけた。
「分かっているけど。そればっかりはどうしようもないよ。」
仲間は片手を上げて、ゆっくり去って行った。
「歳だけは、どうしようもないものね。」
車椅子の母が去って行く老人に同調した。歳はどうしようもないけど、今年も母は春を味わえる。それはとても素晴らしいことだ。

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