大家族が集まった祖母の通夜が懐かしい。08年4月28日
昨夜は母の咳で何度も起こされた。母も十分に眠っていないようで、今朝は強い疲労を訴えた。
散歩中、母は殆ど喋らなかった。陽気で話し好きだったのに、無口な母を見ると喪失感を覚える。それでも、散歩道で知人に会うと母は一瞬で元気になりいつものように挨拶した。
古民家の菜園に春菊が黄色い花を咲かせていた。直径10センチほどの一重の清楚な花である。食用目的の春菊は花が咲くと堅くなるので、この花を見たことがある人は少ない。
前庭で母に輪投げをさせてから古民家の土間で休憩した。他に客はなく、かまどで薪が弾ける音が土間に響いた。時間が止まったようなこの空間は本当に安らぐ。
「昔の家は、何十年も変わらなかったね。」と母に話すと、
「あの頃は朝早くから忙しかったけど、楽しいばかりで、ちっとも辛くなかった。」と、私たちが小さかった頃のことを話した。我が家は大家族の上に他所の大人も交ざり、いつも賑やかだった。敗戦後は貧しく、娯楽はラジオと映画くらいだったのに、本当に楽しい子供時代だった。
帰りは久しぶりに都営桐ヶ丘団地を抜けた。通り道の石垣上に大きな躑躅の株がある。もう、満開だろうと期待していたが、まだ3分咲きだった。このツツジが咲くと祖母の命日が近い。
祖母は3週間程寝込んで死んだ。最期の1週間は、肝臓が弱り、解毒されない毒が頭に影響して、一晩中、一人言を話していた。内容が面白いので録音し、昼間祖母に聞かせると、
「そーの。こげなことを話していたの。」と祖母は久留米なまりで楽しそうに自分の一人言に聞き入った。
しかし、その三日後の5月1日早朝、祖母はあっけなく静かに逝った。
その日の内に、九州から長兄と次兄が上京して来た。狭い我が家に、子供の頃以来の大家族が再現されて、祖母の死の喪失感より再会の暖かみが勝った。今も、賑やかな通夜を思い出すと、温かい気持ちになる。
その翌年、長兄は脳溢血で急死するので、大家族が集まったのは祖母の通夜が最期になった。翌日の葬儀は抜けるような青空だった。荼毘に付した戸田斎場の休憩室はまだ木造で、手入れの良い広い庭に躑躅が溢れるように咲いていた。
この日記を書き込んでいるとブザーが鳴った。慌てて飛んで行くと、母はベットで口を押さえている。すぐにビニール袋を用意して吐かせた。
吐き気止めを兼ねて抗欝剤スルピリドを飲ませているが、専用のナウゼリンと比べると効き目は弱い。しかし、気持ちを明るくする効果は助かっている。
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