介護に一喜一憂は禁物だ。08年5月17日
朝8時半、母を自然公園へ連れて行った。爽やかな風が心地良い。公園に着くとすぐ、母がトイレに行きたいと訴えるので、急いで管理棟へ連れて行った。終わると、母はすっきりしたと喜んでいた。高齢介護で大変なのは食べるのと出すことだ。それが共にスムースなら介護の負担は半減する。殊に今の母は、肺に溜まった水を排出するためにトイレは重要だ。
腹部の膨満感が軽くなり、母はしきりに「すっきりした。」を繰り返していた。母の心からの笑顔を見るのは久しぶりで、とても嬉しい。
古民家前の田圃に、民間有志が田植えに集まっていた。皆、子供のように張り切っている。
「ゆっくり見物して行きなよ。」
田植え指導の松下さんに声をかけられたが、母の体調が良いうちに連れて帰りたい。母に挨拶させて、すぐに帰路に付いた。
公園入り口に小型犬のクーちゃんがいたので少し遊んだ。
「君は元気で良いね。」と話しかけると、悪戯坊主みたいに目をクルクルさせた。
「いつまでも元気でいてくれると、良いんだけど。」傍らの飼い主が言った。クーちゃんは何代目かの飼い犬で、これまで何度も辛い思いをしてきたのだろう。ペットでも肉親でも、老いと別れは必ず訪れる。
帰りに生協に寄った。近くに高齢化した都営桐ヶ丘団地があるので、買い物客の殆どは高齢者だ。みな、弱った足取りで店内をボトボト歩いている。5年後に、この中の何人が今のように買い物を続けられるのだろうか。私が未来へできることは、自分の健康を保つことくらいだ。
御諏訪神社の手前で、ゴールデンのルイちゃんが柵から鼻を出して待っていた。家人と遊んでいたらしく、真新しいボールをすっぽり口にくわえている。しばらく母と一緒に頭をなでていると、ルイちゃんは呼ばれたらしく、ピョンと弾むように家の中に引き返して行った。
母はペットたちに会って少し元気になった。しかし、昼食中に吐き気を訴えたので、慌ててナウゼリンを飲ませた。夕食も固形物を殆ど受け付けないので、ヨーグルトとオリープ油入り野菜ジュースを飲ませた。まだ、液体ならなんとか受け入れてくれるので助かる。根本的な治療ではないが、肺の水が抜ければ母の症状は緩和する。
今は、きちんと食べていた3月の母を思い出し喪失感に捕われる。しかし、介護に一喜一憂は禁物だ。これから更に弱れば、会話ができる今の状態を良かったと思い出す。そして、逝ってしまえば、ただ生きているだけで良かったと思い出す。大袈裟でも過小でもなく、現実を等身大に受け入れることが大切と、自分に言い聞かせているが、喪失感をなくすのは難しい。
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