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2008年5月21日 (水)

母は苦労した事で楽しい老後を迎えられた。08年5月21日

母は何となく終わりが近いと感じているようだ。でも、冗談も出れば人の悪口も言う。散歩の時には、死んだ祖母と父には苦労させられたので、その悪口が出る。
「そんな大昔の事を言ってもしょうがないだろう。」と言うと、
「言いたいだけだから言わせてよ。」と母はむくれる。

祖母の千代は顔を売るのが大好きな人だった。
「すまんばってん千代しゃん、助けてくれんの。」
と、保証人を頼まれると、さして親しくない人でも判子を押した。おかげで母は後始末に苦労させられた。父はお人好しではないが、事業を起こしては失敗し、繰り返し借金の山を作った。それで、父に代わって生活費を稼ぐために母は苦労した。だから、母の言い分は分からなくもない。しかし、苦労には別の側面もある。

父の働き盛りは戦後日本が一直線に繁栄して行った時代に重なる。もし、父が土木建設技官としての役所の仕事を全うしていたら。あるいは、役所から民間の建築会社へ転身して定年まで勤め上げていたら。父は資産と遺族年金を残し、母は安楽な老後を送ることができた。
だから、母が父の悪口を言い始めると次のように言う。
「もし、そのような専業主婦として安楽に老後を過ごしていたら、今のように面倒は見ていない。とっくの昔に年金を使って有料介護施設へ入れ、自分は好きなように生きていた。」
すると母は、「そんな生活は厭だ。今のように毎日自然公園へ連れて行ってもらう方が楽しい。」と悪口を止め、苦労を納得する。

実際、今日のような爽やかな新緑の中を散歩させてもらえば、母でなくても生き生きとした気分になる。母はエンスト寸前のポンコツ車だが、自然に触れたり、顔馴染みに会うと、止まりかけていたエンジンはコトコト動き始める。

とは言え、このところ母の身体はすっかり弱った。
昨夜2時頃、母の咳で目が覚め、急いでかけつけると、息が止まりそうだった。背中をさすり身体を起こし、呼吸を楽にさせるとやっと声が出た。
「ありがとう。よくわかってくれたね。本当に苦しくて、このまま死ぬと思っていた。」
人は咳くらいでは死なないが、心臓も肺も弱った母は僅かの判断ミスで危うくなる。それは母に限らず、老人総てに言えることだ。

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