久しぶりに銀座。08年5月7日
昨日、昼食後に姉が訪ねて来た。後の予定を聞くと何もないと言う。それならばと、母の世話を頼み菊池氏の木版画展へ出かけることにした。姉に母の世話を頼んだのは始めてである。母と姉の夕食を用意して、薬の飲ませ方、食事中の誤嚥の防ぎ方、トイレへの連れて行き方、ポータブルトイレの始末の仕方、それらを教えるのに小1時間を要し、家を出たのは午後2時を過ぎていた。
母をデイサービスに頼んでいた一昨年までは、週に1回、午前9時から午後3時までの6時間だけ外出できた。しかし、その頃から母は終日車椅子に座り続けることが無理になって、デイサービスを止めた。施設には横になるスペースがあるが、母は自分で寝起きはできない。かと言って、いちいち係員を呼ぶのもストレスだったようだ。母に必要な年寄り仲間とのコミニュケーションについては、自然公園への散歩で十分に満たしていたので迷いはなかった。しかし、母がデイサービスを止めてからは、のんびり外出できる日がなくなった。
久しぶりに母のことを忘れ、快晴の爽やかな風の中を北赤羽駅へ歩いた。埼京線から赤羽駅で京浜東北線の快速に乗り換える。連休最終日で車内は空き、楽に座れた。座るとすぐに眠ってしまい、東京駅で目覚めた。慌てて飛び降り山手線へ乗り換え隣の有楽町で下車した。
有楽町マリオンのカラクリ時計が3時の時報を打っていた。休日にしてはカラクリ時計の人形の動きを見物する人は少ない。私は人形達をちらりと見上げて先を急いだ。傍らを中国の胡錦濤国家主席来日反対の右翼の街宣車が騒々しく通り抜ける。それらの騒々しさにくらべ、人通りはのんびりしている。昼間の銀座を歩くのは久しぶりだった。
ギャラリーオカベへ着くと菊池氏は接客中だったので、事務所で川口さんと暫く雑談した。その後、菊池氏とお客さんを交えビールを飲んだが、母のことが気になり、途中家へ電話を入れた。姉に任せたが何となく母のことが気になる。
7時まで飲んで8時に帰宅した。母は何事もなくベットに横になっていた。姉は私と入れ替わりに帰宅した。
母は午後になると疲労を訴えるが、悪いなりに落ち着いて来た。良くなることは期待していない。このまま夏を凌いでくれれば、と思っているが、その先がある訳ではなく、更に厳しい。今は、母の終局を身近に傍観することで、何を学べるかを考えている。
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