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2008年6月22日 (日)

緑道公園の個性的なおじさんたちと、青の竜舌蘭の花。08年6月22日

絵描きは努力が報いられる仕事ではない。いい加減に描いた絵が売れたり、命をかけて描いた絵が見向きもされなかったりする。売れる売れないは運次第で、つい神頼みになってしまう。それで、散歩の行きがけに、必ず御諏訪神社にお詣りする。

お詣りしている間、車椅子の母は階段下で待っている。先月までは、階段前の道の向こうのに俳句おじさんがいて、甲高い良く通る声で自作の俳句を詠んでいた。母はいつもそれを聞くのを楽しみにしていたが、最近、姿を見せない。いつも酔っぱらっている白髭の老人で、体調が悪化したのかもしれない。お詣りの後、今日も母はしきりに彼を案じていた。

緑道公園をジョギングする人は多い。静かな緑陰は心地良く、私も走りたくなる。
最近、見かけた面白い人は定年退職したらしい小柄な男性で、大きなTシャツの裾をフリフリさせながら走っている。それで、フリフリおじさんと名付けた。黒ビキニのピチピチパンツはTシャツの裾に隠れて、ちょっと目はスッポンポンに見える。最初に彼に会った時、超ミニワンピースの熟年男性が走っていると思ってビックリした。

Tシャツの裾をパンツに入れないのはジョギングの流行のようだ。同じく緑道公園を走る若い白人男性も同じスタイルだ。しかし、彼はパンツとTシャツのバランスが良く格好良い。もしかすると、フリフリおじさんは、彼を自分に投影しているのかもしれない。

もう一人は70歳近い男性。若い頃は肉体美を誇っていたのだろう。いつも上半身裸で走っている。彼が胸を上下させながら走って来ると、「ブラジャーを着けて上げたいね。」と、母は気の毒がる。それで、密かにおっぱいおじさんと名付けた。
彼は肉体を惜しげもなく晒しているのに、薄い頭はタオルで隠している。「なかなか、完璧な肉体とはいかないものね。」と母は更に気の毒がる。

以前書き込んだ説教おじさんは、最近見かけない。最後に会った頃、よく足がもつれていたので、いよいよアルコールが脳に来たのかもしれない。
警備員の雪だるまおじさんは、今も郵便局の入り口に直立不動で立っていて、私たちが通るとピョコンと挨拶してくれる。職務に誠実そのもの普段と、笑顔の落差が楽しい。
おじさんたちは何事も極端に走る傾向がある。それで個性的なのかもしれない。

東京北社会保険病院下の桜並木が終わる辺りに個人所有の空き地がある。台地へ上る階段脇の変形の土地で、地主は花等を植えている。そこに巨大な竜舌蘭がある。葉を広げた直径は3メートル程、ウネウネと波打つ力強い造形美にいつも見ほれている。その竜舌蘭に先月から電柱のように太い花茎が伸び始めた。今は優に5メトルを越して、実に見事だ。
---グーグル地図で東京都北区赤羽台4丁目17−56東京北社会保険病院を検索し、その南東の桜並木外れのバス停印の少し右手の三角形の空き地がそれである。直ぐ左斜め上に桐ヶ丘赤羽台アパートがある。航空写真で見るとはっきりとアオノリュウゼツランの株が写っている。

最近、地主が傍らに説明の看板を立てた。名は「アオノリュウゼツラン」。メキシコ原産でテキーラの原料になる。60年間大切に育てて、一生に一度だけ咲く花なので優しく見守って欲しいとある。
調べてみると「青の竜舌蘭」は花を咲かせると枯れるとあり、ちょっと切ない。来月辺り、黄色い花を咲かせた時は写真日記に掲載するつもりだ。
ちなみに英名はCentury plantで1世紀に一度花を咲かせると言う意味。原産地では10〜20年で花を咲かせるが、温帯では滅多に咲く事はないらしい。

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