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2008年7月31日 (木)

孤独死における男女差。08年7月31日

初秋を思わせる涼しい朝だ。昨日撮った母の写真を兄へ出す葉書にプリントした。プリントを見ると、いつの間にか、木々の色が茶色味を帯びている。肉眼では気づかなかったが、自然は確実に秋に近づいているようだ。自然公園のクルミも栗も大きく膨らんだ。先月初めに田植えをした田圃は、今は青々と茂り、間もなく穂が出るだろう。

今朝のワイドショーで孤独死を取り上げていた。
毎度の事で、目新しい内容はない。ただ、都内での孤独死は年々増加していて、来年あたり年間2000人に達するのはショックだ。以前にも書いたが、孤独死好発層の熟年以上独身男性に聞いた結果では、彼らは孤独死をさほど深刻に考えていなかった。その点は一人暮らしの女性たちと大きく異なる。原因は、世間体に対する男女差だろう。

例えば、ホームレスは殆どが男性だ。きっかけは貧困で、熟年男性の就職機会の少なさにある。熟年以上では女性の方が就職は容易だ。私の姉達も高年齢にもかかわらず仕事口は沢山ある。
だが、ホームレスまで身を落とすのは、貧困だけが原因ではない。男性は落ちるか踏みとどまるかの世間体の敷居が女性より遥かに低く、簡単に踏み越えてしまう。

男のよく使う言葉に「野垂れ死に覚悟。」がある。私も43歳で絵描きに転身した時、その言葉を使った。しかし、女性は使わない。男勝りな女性文筆家が、希に「野垂れ死に覚悟。」と文中に使うくらいだ。
男には敗者の美学があるが女性にはない。女性は現実的で勝ちにこだわり、負け犬になるのを恐れる。対して男は、自嘲的に「俺は負け犬。」と言っていても、本当に自分を卑下している訳ではない。理想や夢に殉じた結果の負け犬なら誇らしくさえある。

戦前の洋画家、長谷川利行は空き箱の裏に絵を描き、酔客に押し付けては安酒にありつくホームレス同様の生活を続け、三河島の路上で倒れて49歳で死んだ。同業として、辛い生き方との感慨はあるが、それを否定はしない。そのような最期を迎えた男性芸術家は世界中に数多くいる。しかし、女性芸術家では皆無だ。

自分の生き方を貫こうとすれば、屈辱にまみれるのを覚悟しなければならない。私自身、一枚の絵を売って僅かなお金を得るために、幾度となく屈辱に耐えた。敬意を払って高額で買い取ってくれる人は少なく、これから先は更に耐える事になるだろう。

一人で死ぬ事を恐れることはない。
万人総てが一人で死ぬ。たとえ心中であっても、死の瞬間は苦しみを一人で耐えなければならない。
孤独死の問題は死の瞬間以後ではなく、それへ至る過程にある。社会と隔絶し、孤独、貧困、病苦に耐える長い年月にある。だが、その解決は容易だ。社会保障の分野は公に頼る他ないが、問題の7,8割は人同士の助け合いで解決出来る。若い内から、良い人間関係を構築することが肝要だ。

参考に、最近出た統計。
一人者女性は男性より強いとされているが、高齢自殺では女性が多い。これは老いの惨めさを開き直って受け入れるか、受け入れられないかの男女差かもしれない。

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