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2008年7月23日 (水)

案内状用の絵は22日お昼前に描き上げた。08年7月23日

前日の仕上がり具合では、到底無理に思えたが、構図に時間をかけて、しっかり描き直したのが功を奏した。絵は構図さえしっかりしていれば、少々仕上げが粗くても見栄えは良い。

次の難題はデータ化である。絵の大きさは100×80.3センチで、カメラ撮影しかない。今はデジカメ撮りが主流だが、私の旧型デジカメは500万画素と粗い。理想はリバーサルフイルムだが現像に時間がかかる。しかし、ネガフイルムなら近所のラボで30分で上がる。

天候は薄曇り。10年ぶりに古いカメラを取り出し、住まい通路突き当たりの明るい壁に絵を立てかけて撮影した。12時に川向こうのラボに持ち込む。コストは24枚撮りフイルム480円に紙焼き無しの現像のみで600円。それに店への往復、待ち時間のコストが加わる。それでも良い写真が撮れていれば文句はない。

ネガを急いで持ち帰りスキャナーで読み取り、色を反転させるとピントが甘い。その上、補正不可能なくらい青被りしてコントラストなく暗い。曇り空では黄フイルターを着けないとし青かぶりすることを、すっかり忘れていた。その点、デジカメは光の色調を自動補正するので、蛍光灯でも曇り空でも青被りはない。そのデジカメの性能が銀塩フイルム愛好家に嫌われるのだが、今日の場合、銀塩フイルムでは拙い。
既に1時を過ぎて、母の昼食の準備がある。仕方なく旧型デジカメで撮影し、パソコンに出力すると意外に綺麗。500万画素では画像が甘いが、葉書印刷なら何とかなりそうだ。

3日間、殆ど寝ていないのに、母絡みの雑用が次々と押し寄せ省略出来ない。母への対応の合間に画像データーを補正してCDに入れ、午後5時半に梱包した絵を片手に家を出た。締め切りが迫ると、母の介護がとても重く辛くなる。

約束の6時半に10分の余裕を持って銀座の画廊に着いた。データを渡し、原画を見せると好評だった。ホッとして夜の銀座を歩きながら家に電話を入れると眠そうな母の声。
「三越に寄って帰る」と母に伝えて地下鉄銀座線に乗った。三越では「増田三男と24人の工芸家展」をやっているはず。先日、参加者の一人からカタログと案内状が送られて来た。他の参加者にも知人が多く、これでひとまとめに義理が果たせるとの思惑がある。

三越前で下車し、三越6階会場へ行くと肝心の展覧会がない。キツネにつままれた心地で係員に聞くと、会は昨日21日に終わった、と言う。仕方がなく、そのまま上野へ向かった。銀座線は帰宅ラッシュもなく、大きな絵を抱えている身には助かる。上野からは高崎線で一気に赤羽へ帰った。帰宅は8時。母の様子を見てから、自室で寝転んでテレビを見ていると、そのまま寝入ってしまった。目覚めたのは12時。それからやり残しの仕事をしてメール送信。まだ、寝不足は解消しない。

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