« 夏日が途絶え、涼風に頭が冴えた。写真日記更新。08年8月10日 | トップページ | 汗拭けば眩しき道に月見草 08年8月13日 »

2008年8月11日 (月)

ホクロから出血。医師は0期基底細胞癌の可能性を捨てきれない。08年8月11日

先月26日に東京北社会保険病院の皮膚科へ95歳の母を連れて行った。すでに記入済みだが、左まぶた上の直径3ミリ程のホクロから出血したからだ。傷付けての出血なら心配しない。その時は、まぶたに黒いものがついていたので、落そうと濡れタオルで擦ったら出血した。多分、それまであったシミが老人性の小さな腫瘍に変化した、と考えられる。母の写真は沢山あるので、過去の写真を点検すると、以前からあったシミが4月頃から濃くなっている。これは注意を要する変化だ。

東京北社会保険病院の皮膚科は問題ありの男性医師が辞め、女性医師の三人体制に変わった。40代の女医さんはカサブタを取り除いて、丹念に医療用ルーペのダーモスコープで覗いて、
「直感的に悪いものではないと思いますが、経過を見ましょう。」と告げた。

経過をみる最初が今日の朝一番だった。待ち時間なしの診察は気持ちが良い。
「100%、白とは言い切れません。かと言って、非常に悪性のものとも思えません。」
医師は、再度経過をみるか、それとも切除してしまうか聞いた。非常に悪性のものとはメラノーマを示すのだろう。経過を見るのは教科書的な診断だが、私はそれに苦い経験があるので、切除を頼んだ。

2003年の春、母は板橋の大病院の皮膚科で進行したホーエンガンだと告げられた。その1年前、母は下腹部に異常を感じて、その病院にかかっていた。担当医師は経過をみましょうと、抗がん剤軟膏を処方した。母は定期的に通院し、生真面目に軟膏を塗っていた。それなのに、突然に転移の可能性有りとの宣告だ。私は付き添いを姉に任せたことと、担当医師を信頼していたことを深く後悔した。
その日の内に、内蔵のCTスキャンで30ミリの肝臓ガンが見つかった。それからは嵐に放り込まれたような毎日が始まり、その年の暮れまでにガン手術は総て無事に終わった。

その経験があるので、切除してしまうように頼んだ。
医師の診断では患部の径は2ミリ。私がルーペで診た感じでは、径2.5ミリの中に黒い粒々が散らばっている。医師はその所見と、ボーエンガンの既往歴から、完全に白と診断できないようだ。
厭なのは、顔面の鼻と目の周囲は基底細胞癌の好発域であることだ。しかし、最悪そうであっても、がん細胞が表皮に留まっているステージ0期だ。手術は局部麻酔で、患部から1ミリ広い径5ミリ以内の切除ですむ。切除したものは直ちに院内の細胞診に回され、もし、がん細胞が見つかれば更に余分に切除する。

手術自体は親知らずの抜歯より簡単なものだ。ただ、場所がデリケートなまぶたであることが気にかかった。帰り道、「小さく切り取って縫い合わせるので、まぶたのたるみがなくなって目がぱっちりするよ。」と母に気休めを言った。
当の本人はまったく気にしていないが、私は事前に血液検査や、手術承諾書などがあり、物々しくて気が滅入った。幸いなことは、患部が左まぶたの鼻寄りの中央部で、切除しやすい場所なことだ。仮に広めに取ることになっても悪影響は少ない。

手術日は来週火曜日。それまでは毎日が何となく落ち着かないだろう。

8月19日

「先週より色が薄くなっているようですので、悪性のものとは考えられませんが、経過観察しますか。それとも切除しますか。」と、女性医師は再確認した。医師の直感は尊重するが、私は躊躇なく切除を頼んだ。

切除前に母の血圧が計られた。それから患部のある左上まぶたを消毒して、手術セットの使い捨て灰緑色シートが母の顔にかけられた。シート裏は弱く肌に粘着して、中央の手術穴がずれない仕組みだ。次に患部皮膚に局部麻酔の注射。くの字に曲げられた注射針はまぶた皮膚に薄く刺さり、注入された麻酔薬が患部を半球形に持ち上げた。膨らんだ風船と同じで、患部は固定され切除しやすくなる。
患部の皮膚は横方向紡錘形に使い捨てメスで切れ目が入れられた。それからピンセットで持ち上げられ、すくうように下の組織から切り離された。要した時間は10分程で出血はほとんどない。その間、母は手術台を兼ねた診察室ベットに気持ち良さそうに横になっていた。

透明な液体に入った切除皮膚を、看護婦さんが「見てみますか。」と私に渡した。それは赤い小さな断片で、よく見てもどうなっているか分からなかった。
医師は6ミリほどの傷口を丹念に10針縫った。紡錘形に切除したのは、傷跡が綺麗に横一文字になるためで、10針も縫ったのは傷口が開かないためだ。医師は手術シートを母の顔から剥がしながら、
「傷はしっかり塞がりますから、明日の夕方から顔を洗っても大丈夫ですよ。」と言った。
「あら、もう終わったんですか。気持ちよくて、眠ってしまいました。」と母は陽気だった。傷跡にはゲンタマイシンが塗布され絆創膏が貼られた。

終わった医師に「母は以前、ボーエンを転移する段階まで経過観察されたことがあり、それで、切除をお願いしました。」と言うと、「それは待ち過ぎですね。」と医師は何度も繰り返した。母の場合、経過観察で大きくなってから切除すると、場所がデリケートなまぶたなだけに面倒な手術になる。今回の手術跡はシワの方向と一致するので、殆ど分からなくなりそうだ。

看護婦さんが診察室の外で、再度母の血圧を計った。血圧は術前と変わらず、麻酔ショックの兆候はない。計りながら「ご出身はどちらですか。」と看護婦さんが母に聞いた。久留米生まれだと答えると「やっぱり。ハキハキお話しになっているから、九州の方だと思いました。」と言った。そして「こちらの先生は、仕事がとても丁寧ですよ。」と付け加えた。先月の診察から、母のホクロについて色々不安はあったが、これで厄介ごとが一つ消えた。手術費用は1割負担で5100円だった。

--後日の細胞診の結果は異常なく安堵した。手術跡は完璧に治り、目を凝らしても傷口は分からない。看護婦さんが自慢していたのは本当だった。

手術後の母。
まぶたの絆創膏が手術跡。
東京北社会保険病院玄関前にて。
F8_20

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 夏日が途絶え、涼風に頭が冴えた。写真日記更新。08年8月10日 | トップページ | 汗拭けば眩しき道に月見草 08年8月13日 »

心と体」カテゴリの記事