汗拭けば眩しき道に月見草 08年8月13日
個展案内状の宛先を整理し書き始めた。手書き宛名はうんざりするが、宛名プリントでは貰った人が嬉しくない。余程絵が良ければ別だが、まず、私は行かない。
散歩コースには、月見草、萩、撫子、芙蓉と咲いて秋の気配だ。しかし、一向に暑さは和らがず、散歩コースから顔馴染みの大半が消えた。夏休みなのに、赤羽自然観察公園に子供の姿がない。数年前まで、水辺で遊ぶ子供たちの姿がいつも見られたのに、どうしたことだろう。公園だけでなく、街中にも子供の姿が少ない。冷房が普及して、暑さへの耐性が弱まったのか。それとも、更に少子化が進んだのか。いずれにしても、寂しい風景になった。
先週あたりから、ツクツクホーシが鳴き始めた。自然公園の椎の木陰に母の車椅子を置き、ツクツクホーシを聞きながら、傍らのベンチに横になった。ベンチは丸太を二つ割りにして二本並べたものだ。その二本の隙間から風が抜けて心地良く、すぐに寝入ってしまった。
5分ほどの眠りの中で、子供の頃の大堂津の夢を見た。小学生の私は、我が家裏の細田川対岸の山裾の道路を一人で歩いていた。その辺りは人家はなく、木立の深い寂しい場所だ。夕暮れ前の青空にツクツクホーシが降るように鳴いている。心細く、対岸遠くの我が家を眺めていると、突然に夢は終わり目覚めた。
「大堂津の夢を見ていたよ。」と、傍らの母に言うと、「随分短い間に、遠くまで行って来たのね。」と、母は笑った。
母に笑顔は出るが、身体は更に弱った。車椅子の乗り降りも、家の中の移動も私の介助がないと無理になった。この文を書いている間も、ブザーが二度鳴って、母に呼びつけられた。目薬が見つからないとか、テレビのリモコンが見つからないとか、つまらない理由だ。先日など、かけている眼鏡を忘れて、眼鏡がないと騒いでいた。そう書けば笑い話だが、夜昼なく日に数十回呼びつけられると深刻になる。
それでも母は自立していた期間が長かったので私の負担は小さい。しかし、一般には介助期間の長さは問題だろう。殊に脳梗塞等で不自由なままに数十年の介護をするケースでは大変だ。
私が子供の頃の平均寿命は60歳前後だった。当時は、老人が寝たっきりになれば数年で死に、家族の負担はさほど大きくなかった。そのような時代に作られた敬老精神や家族愛を現代日本にあてはめるのは無理かもしれない。今の時代は介護に意義を見いだすことが難しい。意義を見いだせないまま苦労して見送った後、埋めようのない喪失感に苦しむのは、あまりにも不毛に思える。
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