お彼岸、母は一段と弱ったが笑顔は増えた。08年9月23日
先日から、緑道公園脇の墓地は墓参で賑わい、好天の今日も、散歩道まで線香の煙りが漂っていた。
自然公園では、お彼岸に合わせるように彼岸花が咲きそろった。緑陰に咲く花は燃えるように鮮やかだ。30年以上昔の今頃、秩父三番札所の常泉寺へ行ったことがある。巡礼道の田の畦に点々と彼岸花が咲いていて、心に染み入った。収穫前の稲田と朱色の対比を、今も鮮明に思い出す。
散歩道で、久しく会っていないおばあさんに出会った。
「お見かけしないので、心配していました」
母はたずねた。
「何とか過ごしていますが、近所にごたごたがありまして、散歩は休んでいました・・・」
彼女はごたごたの経緯を話し始めた。
彼女の近所に、海老のように腰が曲がった80歳代のおばあさんがいる。顔が膝にくっ付くほどの曲がり方で、歩くのも大儀に見える。そのおばあさんが、寝たっきりの夫の介護をしていると彼女は話した。自分が介護が必要なくらい大変なのに、介護をしているとは想像もできず驚いてしまった。
それは次のようなことだった。
8月末、おばあさんの寝たっきりの夫が、救急車で搬送された。
病院の見立てでは2,3日の命だ。それで葬儀を手伝う心づもりで彼女は外出を控えていた。しかし、老人は一向に死ぬ気配はなく、日に日に元気になって近く退院することになった。
「あの方も、これでやっと老々介護から解放されると近所で話していましたのに、これはどう言うことでしょう」
彼女はおばあさんが気の毒だと嘆いた。
家庭で療養していた老人が、病院や施設に入ってから元気になるケースはよくある。その老人も、老々介護で行き届かなかった食事や介護が病院で適正化され、本来の寿命を取り戻したのだろう。
それにしても、老いた二人を共倒れさせかねないのこの医療制度は、実に残酷で矛盾している。そんなことを思いながら、生協に寄った。
すると、その老々介護のおばあさんが、顔が床にくっ付きそうな不自然な姿勢で商品を品定めしていた。
「本当にお気の毒ね。子供はいないのかしら」
店を出てから、母はつぶやいていた。
人の心配をしていた母も一段と弱った。
自然公園で歩く長さは5メートルほどになった。
それでも母は弱ったことを受け入れたようで笑顔が増えた。
しかし、夜間にブザーで呼びつける回数が増えたことには閉口している。
夜間の幻覚も増えた。
私が子供の頃と今を混濁させ、意味不明のことを話す。
「分かったから、もう寝な」
しばらく適当に相づちを打った後、そう言うと、母は「有り難う」と微笑んで寝入る。
昔、祖母の介護をしていた頃、死の半年前から同じようなことが増えた。
当時、私は昼間寝て朝まで隣室で仕事をしていたので、祖母に呼ばれるとすぐに話し相手をした。意味不明の話しに相づちを打っていると、祖母は「有り難う」と言って寝入っていた。
「やはり、母の死期は近いのかな」
自室に戻ると、ついつい先行きを考えてしまう。
やがて訪れる母の死を受け入れても、寂しいものは寂しい。
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