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2008年10月13日 (月)

交通事故死した甥が姉に残した安らぎ。08年10月13日

Imag爽やかな休日、自然公園から赤羽台団地を抜けて駅前へ向かう途中、小次郎くんに会った。
腕を掴み、「すなおに言うことを聞け。」と、脅すと、小次郎くんは困った顔をした。
それから、高架下のペットショップに寄り、ゲージの中で無邪気に遊び転げている子猫たちを眺めて帰った。

帰宅すると、姉が来ていた。土日はドイツから来日している知人たちとの付き合いで、来れなかった。今日、知人たちは鎌倉見物。爽やかな日本の初秋を楽しんだだろう。

ドイツの知人は若くして交通事故死した甥が付き合っていた女性だ。20年前の当時、彼女は東大に留学していた。甥の死後、彼女は環境学の博士号を取り、帰国して結婚して大学で教鞭を取っていたが、最近、大学は辞めて父親の鉄鋼会社の重役に転身した。今回の来日は、日本法人の子会社への訪問を兼ねている。

昔、銀座彩林堂で個展をした時、彼女は甥と一緒に来た。南ドイツ出身で、一般がイメージする武骨なドイツ人とは違い、ラテン的な優しい女性だった。姉は何度かドイツの豪邸に遊びに行っている。彼女も来日する都度、独り身に戻った姉の狭い陋屋に好んで泊まっていた。どうやら、住まいの安らぎと貧富は別ものかもしれない。

今朝の朝日新聞でゲーテッド・コミュニティー(要塞の街)を特集していた。読みながら、姉の陋屋に泊まって安らいでいる彼女のことを思った。
記事では、米国経営で出現した芦屋市の浜辺にあるベルポート芦屋を取り上げていた。美しいマリーナがある広大な土地に一区画数億の豪邸が並び、フェンスと警備員で24時間厳重に警護された要塞の街。住人たちは安全と安らぎを賛辞していたが、私には寒々しい光景に思えた。
一方私は、爽やかな今日、玄関ドアを開け放って過ごした。部屋の奥からも、上越の山々へ広がる明るい町並みが見えて心地良かった。失うものがなければ、フェンスや警備員がなくても何の不安もない。対して、要塞の街の住人たちは、大金を得た代償に安らぎを失っていた。

ドイツ人女性と付き合っていた甥は国際人ではない。ただの築地魚河岸に勤める遊び好きの若者だ。彼の遊び好きは父方の血かもしれない。父親の家系はいわゆる江戸っ子のなりそこないで、上野界隈に広く、地所や家作を持つ資産家だった。それを、子孫が食いつぶし、姉が嫁に行った頃は、湯島に残った旅館で細々と暮らしていた。その旅館はバブル期に地上げを受け、再度、昔の栄光を取り戻したかに思えたが、投資の失敗で零落の道を辿った。姉はそんな夫と身一つで別れ、今は新橋の飲み屋を手伝いながら細々と暮らしている。

甥は何も残さなかったが、上記のような女性たちとの交流を姉に残してくれた。虚しさが伴う"もの"より彼女たちとの繋がりの方が、姉には遥かに素晴らしい遺産になっている。
姉は自慢話をしながら母の世話をして、「じゃーね。」と、1時間後に帰って行った。

Ma_3

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