尾瀬の山ブドウと人懐っこい白犬。08年10月15日
散歩道に鳩の羽が散っていた。弱った土鳩が野良猫にやられたのだろう。自然界では殆どの動物が、天寿を全うせずに補食されて死ぬ。寿命が尽きて死ぬのは、人とペットくらいのものだ。
姪たちは先日死んだ母親の墓を、墓参のしやすい東京近辺に決めた。散歩の時、母に話すと、「東京の近くなら、私も入りたいね。」と言った。博多の菩提寺の霊廟に父や姑たちが祭ってあるが、そちらは厭だと言う。姑はあまり良い性格ではなく、母とは確執が多かった。母は父方一族の中に入って、あの世でまで厭な思いをしたくないようだ。その点、娘と一緒の墓なら気楽だ。それに、姪たちが母親のついでに墓参りしてくれる。私は墓を持たない主義だが、姪たちには良い考えだと思った。
月曜に鶴瓶の家族に乾杯-東京都あきる野市-を見た。ゲストは高畑淳子。鶴瓶と分かれて一人にされると、都内なのに住人と誰一人出会えない。しかも、曇り空で夕暮れのような薄暗さ。彼女のつぶやきが途絶えると深い樹間から沢音が聞こえて寂しかった。
その時間が止まったような心細さは身に染みて分かる。
昔、山登りをしているころ、山の宿に着くと時間を持て余した。テレビ、ラジオどころか電灯すらなく、シーズンオフの宿には相客もいない。夕食が終わり自室に戻ると、時間は止まったように進まない。もう寝る時間だと思っても、時計はまだ7時。時間はゆっくりと心細く流れていた。
昔の人は、そのようにゆっくりとして少し心細い時間の中に暮らしていた。だから、50年の一生でも長過ぎるくらいだっただろう。そして、その心細さが人との繋がりを大切にさせた。誰でもテレビを止めてみると、そんな昔の時間を実感出来る。
自然公園では山ブドウとヌルデが実り始めた。
ヌルデは漆科の植物で樹液が塗料になる。ただし、漆と違ってかぶれることは殆どない。実は5ミリ程の扁平なドラヤキみたいな形で、堅い殻の中に淡黄色の鑞分を含む果肉がある。昔はこの実を潰して蒸して鑞を取った。
実の表面にはリンゴ酸カルシウムの結晶が付着している。舐めるとしょっぱさと酸っぱさが交ざった不思議な味だ。それで、シオノキと呼んで、海から遠い山国では塩の代わりにしたようだ。しかし、これだけでは不味く、塩の代用になるとは思えない。当時、山国では高価だった塩の増量剤に使った、と私は思っている。
写真の山ブドウは自然公園の駐輪場の金網に絡んでいた。山ブドウは霜が降りると甘くなる。
40年前の9月半ば、尾瀬ケ原から奥只見湖方面へ下山した時、すでに朝夕は寒く、山ブドウが甘く熟していた。山ブドウはクマの大好物だ。出会わないかと心配しながら夢中で食べていると、突然傍らのヤブがガサゴソ音を立てた。「出た。」と身を凍らして立ちすくむと、顔を出したのは可愛い白犬だった。ほっとして声をかけると、嬉しそうについてきた。途中、出会った地元の人に聞くと、尾瀬の山小屋の飼い犬らしい。普段、登山者を送り迎えしているので、私にも着いて来たようだ。
しかし、私の歩く距離はいつもの登山者の数倍は長かった。奥只見湖を見下ろす峠にさしかかった時、白犬は立ち止まって寂しそうに見送った。そこが彼のテリトリーの限界だったようだ。随分遠くまで来て、心細かったのだろう。背後にいつまでも、白犬の鳴き声が聞こえた。
それから、私は奥只見湖の定期船に乗り、銀山平でバスに乗り換え、上越線小出駅から帰京した。書いていると、脳裏に青空と尾瀬の清涼な大気が蘇った。今もあの白犬が無事に帰ったかどうか気になる。彼はすでに遠く過ぎ去り、影も形もないだろうが。
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