経済危機が芸術を進化させる。08年10月29日
夕暮れ、次々とけたたましいサイレン。玄関を開けるときな臭い風が吹き付ける。川向こうの都営団地1階から煙りが噴出し、慌ただしく動き回る消防隊員の大声が聞こえる。消防車は更に駆けつけ、夕闇の中、総計11台が川沿いに赤色灯が煌めかせた。
火元は10分ほどで消火された。玄関前通路の観客たちは冷たい北風に身を縮め、部屋に戻って行った。
今日の自然公園には小学低学年の団体が来ていた。管理棟前の椎の大木は地上1メートルほどを水平に太い幹を伸ばしている。それはとても魅力的で、毎日、近所の保育園児たちがまたがって遊んでいる。猛暑の頃、私もその幹に横になって涼風を楽しんだ。
小学生たちも、目ざとく椎の大木を見つけ、嬉しそうに幹に飛びつて行った。しかしすぐに、「危ないから、木に登ってはいけません。」と、引率の教師に引き戻された。子供たちが不満を言うと、「木から落ちたら怪我をするでしょう。」と、取り合わない。その後、教師は子供たちを整列させ、転んで怪我をするから走り回ってはいけないとか、草むらには虫がいるから近づかないようにとか、神経質な注意を続けた。学校にしてみれば、親からのクレームを恐れてのことだろう。
しかし、日本の未来を担う子供たちが、こんなにひ弱に育てられては心配になる。昔の子供は怪我は日常茶飯事で、親も子供の怪我は元気な証拠と喜んでいた。だから、我々の世代で身体に傷のない者はいない。私も、腕、足、顔と傷跡だらけで、その一つ一つに懐かしい思い出がある。
そう言えば、今の子供は傷一つ無いきれいな顔や手足だ。昔はそんな子は、乳母付きの金持ちの坊ちゃんくらいで、庶民の子は赤チンだらけだった。今の若い親に、昔の奔放な遊びを見せたらびっくりするだろう。
今日も経済危機のニュースばかり。音楽や文学は景気の影響を受けにくいが、絵画はもろに景気の影響を受けるので気になる。
近年の絵市場はコンテンポラリーアートが世界を席巻して来た。主な賓客の金融関係者が明快なコンテンポラリーアートを好むからだ。瞬時に決断を強いられる彼らに、コンテンポラリーは向いている。その点、私の描く叙情的な具象画は内省的で、彼らに人気がない。心を静かに深く掘り下げていては、投機のチャンスを逸するからだろう。
先月の私の個展に現代美術の評論家が来た。
「現代美術ばかり見て暮らしていますと疲れます。その点、こちらの絵には安らぎがあります。この世界も良いなと改めて感じ入りました。」と、彼は話した。その言葉は、図らずも次の時代を暗示していた。今回の経済危機で、私たちの叙情的な絵は見直されるかもしれない。
芸術はいつも経済危機をバネにして進化していた。ビートルズは英国の経済危機の時にデビューした。ピカソもダリも第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦と続く間に現われた。対して、好況時にデビューした作家たちはおしなべて軽くて薄い。
欧米でのアートはコンテンポラリーだけで、叙情的な具象画はイラストの範疇で芸術と見なされない。対して日本では、伝統的にイラストの評価が高く芸術と見なされる。たとえば、北斎も歌麿も写楽もイラストレーターだった。私は日本の評価の仕方が正しいと思っている。
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