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2008年10月31日 (金)

マーフィーの法則。探しものは、探すのを止めたら見つかる。08年10月31日

先日の散歩の出がけ、住まいの鍵が見つからない。
予備の鍵を使ったが、行方が気になる。開けた後に鍵を抜き忘れ、翌朝気がつくことがある。もしかして、抜き忘れた鍵を誰かに抜かれたのかもしれない。そう考えると気味が悪く、結局、鍵を取り替えることにした。

8年前、ピッキングが頻発していた。その時、新しく取り替えたのが今の鍵だ。しかし、その鍵もドライバー1本で数秒で開けられるようになった。だから、取り替えは丁度良い機会だと思った。

散歩は止め、母の車椅子を押して赤羽駅近くのビバホームに行き、新式の鍵シリンダーを買った。一緒に、郵便受けの錠前も新しくした。錠前はレバーを数値の回数、カチカチと回転させる方式なので、暗くても手探りで開錠できる。住まいの鍵を総て一新すると気分がすっきりした。

Mago
ピッキング窃盗団は見張り役を交えて素早く行動する。
彼らが好むのは、通路が複雑で死角の多い住まいだ。その点、今の住まいは見通しが良く、ピッキング被害は聞かない。それでも無くした鍵の行方が気になり、取り替えた後も探し続けていた。すると、長い間探し続けていた死んだ姉の指輪や、ポイントカード数枚が見つかった。放ってあったGパンのポケットからは500円玉が見つかった。さしづめ、マーフィーの法則なら「探しものは、探すのを止めたら見つかる」となる。
マーフィーの法則に「待っている電話はかからない」がある。
世の中は思い通りはいかないものだ。
昔「電話が通じにくい相手とは、絶対に付き合ってはならない」を考えた。電話に相手名表示機能がないころの法則だ。その頃、独りが寂しくて、電話がなかなか通じない相手に、やっと連絡を取って付き合い始めた。付き合い始めると、超自分勝手な女だった。早速「出版社を紹介しろ」と頼まれた。それで、旧知の編集長にお願いして喫茶店に来てもらい、待ち合わせた。すると、彼女はいつまでたっても現れない。完全にすっぽかされた。理由はすぐに分かった。彼女は他の大手出版社にも声をかけて、約束の日はそちらを優先していた。おかげで、その編集長とは疎遠になってしまった。
他に、私が作ったマーフィーの法則に「悪口は必ず相手に通じる」「取り逃した幸運は本当の幸運ではない」「良い友達を持つている人は良い人が多い」「本当に好きな事をしていると、良い友達ができる」などがある。

紛失した鍵の行方だが、思いがけない場所で見つかった。
母の車椅子散歩から帰宅すると、すぐに散歩途中で買った野菜を冷蔵庫にしまう。
野菜入れの古い買い物袋をゴミ箱へ捨てるとチャリンと音がした。袋の底を覗くと、探していた鍵があった。買い物袋はいつも母の車椅子の取手に下げて帰る。その日は鍵を開けた後、母が降りる介助をしようと、買い物袋に一時的に鍵を入れておいたようだ。それをすっかり忘れて、なくしたと思い込んでしまった。まさしく「探しものは、忘れた頃に見つかる」であった。

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赤羽駅前風景。傍らの派手な男性は街頭宣伝マン。

ところで超自分勝手女だが、これまで没交渉だったのに、去年突然、年賀状で結婚したと知らせて来た。相手は不動産で儲けている実業家だ。彼女は30代後半になり、最後のチャンスだと思ったようだ。しかし、今年は年賀状は来なかった。今、不動産は厳しい。さらに超自分勝手な女だ。上手く行っていれば良いのだが。
毎年の年賀状に、旧姓に戻った女性が必ず2,3人はいる。
不景気になると離婚が減ると言われている。
はたして、来年はどうだろうか。
そろそろ、年賀状の準備に入る。
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近況・・・
絵本「おじいちゃんのバス停」を完成させて、Amazon Kindleの電子図書 にてアップした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B79LKXVF
Kindle Unlimited 会員は0円で購読できる。
上記ページへのリンクは常時左サイドに表示。画像をクリックすればKindleへ飛ぶ。

絵本の内容
おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。
この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。

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概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。
描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。
絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。

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