姉妹は仲が悪そうで、好い話し相手でもあった。08年10月6日
日曜日午前中、姉は埼玉の斎場「しののめの里」で荼毘に付された。
「私も参列して、さよならをしたい」
母は言っていたが、体力的に無理だと諭すと諦めた。
火葬が始まる頃に母を散歩へ連れ出した。住まいから斎場方角に遠く第一硝子の工場が見える。エレベーターを待つ間、斎場方向を母に教えると、日射しを受けて白く流れる硝子工場の煙りに母は手を合わせていた。いつも眺める煙りだが、その日は火葬の煙りのように思えた。
姉の死を知ってから、母は気落ちして急に老いた。早く回復させようと、散歩道で知人に会う都度、姉を亡くして母は気落ちしている、と話した。皆は私の気持ちを察して、優しく慰めてくれ、母は少しずつ元気を取り戻した。身内の死は隠しきれるものではない。始めはショックが大きくても、多くの人に慰められて早く癒される。
自然公園からの帰り道、姉から電話があった。火葬が終わり、姪たちとは別れて東上線みずほ台駅のホームにいると話した。様子を聞こうと思ったが、間もなく電車が到着して電話は切れた。
電話の後ふいに、祖母や父の法事の時、死んだ姉と下の姉が喪服を見せ合っている姿を思い出した。二人は歳が近く、何かにつけ張り合っていたが、格好の話し相手でもあった。3年前、母が東京北社会保険病院に緊急入院した時も、見舞いに来て再会した二人は楽しそうにお喋りしていた。
「仲が悪そうでも、やっぱり姉妹だね」
母は嬉しそうに眺めていたが、それが最後の平和な光景になった。
死んだ姉からは時折電話があった。
「何もしてやれなくて、ごめんね」
母を任せっきりにしていることを、いつも詫びていた。最後の電話は初夏の頃、病院からだった。ひどく弱々しく別人のように聞こえた。姪に聞くと、重い病気ではないので、そのうち回復すると話していた。
姉の死で、母の終わりも近く感じた。母がいなくなれば、私と兄姉との繋がりはバラバラになるだろう。下の姉は急に寂しさを感じたのか、沖縄に住む娘と孫を訪ねると話していた。
夕刻、友人から電話があった。母をベットに寝かせて、池袋で友人と会った。友人は今年夏に母親を亡くしている。母が食事量が減ったと話すと、「それは大変だ」と、心配していた。
帰りは雨になった。10時過ぎ、帰宅すると玄関前に花が置いてあった。知人が留守中に訪ねたようだ。目覚めた母に話すと有り難いと感謝していた。
今日は冷たい雨の中、母を散歩に連れ出した。緑道公園では紫式部が実をつけ、金木犀の花が地面をオレンジ色に染めていた。公園の出口で、大型犬の小次郎ちゃんに会った。ペットは辛い時、癒してくれる。母は撫でながら、笑顔になった。散歩を続ければ、母は弱ったなりに日常を取り戻して行くだろう。
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