« カリン?マルメロ?、どちらか悩みながら咳止果実酒を作った。08年11月9日 | トップページ | 墓は自然に風化して無くなるのが良い。08年11月12日 »

2008年11月11日 (火)

母が寝たっきりにならないように、現状死守している。08年11月11日

今年3月まで母は洗面所まで行って顔を洗っていたが、今は寝室隣のテレビの前で、椅子に座って濡れタオルで拭くだけだ。歯磨きは私が洗面器を顎の下にあてがい自分でさせる。服も私が着せているが、自分で出来るボタン留めやマフラー巻きは、まどろこしくても手伝わない。手伝うとその時点で退化して、二度と出来なくなる。母の歳になると、現状維持がとても大変になる。ほんの少し気を抜くだけで、際限なく寝たっきりに近づいて行く。

散歩から帰ると、母は昼食までベットに寝ている。食後は椅子に座ってテレビを見るが、殆ど居眠りしている。寝起きはふらつくようで、「今日はとても調子が悪い。」と、毎度悲観的なことを言う。「ふらつきは寝起きの所為で、身体が弱ったせいじゃないよ。」と、介助しながら強く念を押すと何となく納得する。

"寝たっきりが何故悪い。堂々と寝たっきりになって堂々と人の世話になったら良い。"との考えがある。やもう得ず寝たっきりになった方はその通りで、堂々と世話になったら良い。
しかし、総ての方がそうだとは思わない。努力で寝たっきりにならずに済むなら、それが楽しいに決まっている。母が自然公園まで車椅子散歩ができるのも、寝たっきりではないからだ。ちなみに、日本は世界一の長寿国だが、寝たっきり率も世界一だ。寝たっきりの大半の人は、適切なリハビリや介護で、そうならずに済んだ、と思っている。

母にブザーや内線電話で呼び出されるのが、最近、頻繁になった。おかげで、3時間以上の外出が難しい。もっとも、呼び出される用件の大半は、眼鏡や、リモコンや、孫の手が見つからない、と言った些細なことだ。探しものは大抵、母の枕元にあるので、「ここにあるよ。」と示すと「あら、そんなところに。」と謝る。
これを書いている少し前にもブザーで呼びつけられた。
「何。」と聞くと「あれ、何だかしら。」と、母はベットで考え込んでいる。
「腹が痛いとか、咳が止まらないとかなら、忘れる訳がないから、大した用事じゃないよ。」と言うと、「思い出したら、呼ぶから、よろしくね。」と照れ笑いしていた。

母の体調は日に日に確実に下降線を辿っているが、完全な寝たっきり期間は短く終わるように願っている。母は私がいるので恵まれているが、家族がいない私はそうはいかない。だから、出来る限り死ぬまで元気でいて、とことん弱ったら人手を煩わせずにコロリと死にたい。

先月死んだ姉は、どうしようもない老後を送ると思っていたが、寝ている間にコロリと死んだ。死後、姪がアパートに遺品を片付けに行ったら、身の回りのものは総て処分してあり、手提げに収まる程の、大切なものだけが残っていた。入院する前から、あのへこたれの姉が死の覚悟をしていたとは、とても意外だ。

私のコロリと死にたい願いは、「おひとりさまの老後」の上野千鶴子氏によると、かってのユダヤ人や身障者を処分したファシズムと同じらしい。彼女は、その願いは、少しでも社会のお荷物になりそうなものを排除する思想に至ると言う。社会学者の彼女はそれを理路整然と説明するが、腑に落ちない。彼女特有のレトリックだろうが、寝たっきりにならずコロリと死にたいと願っている人々が、差別主義者とは思えない。まして、彼らが弱った人に寝込まずにコロリと死ね、と言っている訳でもない。コロリと死ぬのは宝くじに当たるくらい希なことで、大抵は、老いれば弱り人の世話を受け死を迎える、と誰でも承知している。大衆は学者のようなスマートさはないが、意外に真実に迫った考えをする。

Sizen11MakiKiri上写真は赤羽自然観察公園の池。今カルガモが来ている。

中写真は赤羽自然観察公園の野外炊爨用の薪。

下写真。久しぶりに都営桐ヶ丘団地を抜けた。住人は殆ど老人ばかり。坂道を上るのが辛そうだ。丘の上は赤羽台3丁目の自然林で、これから美しく紅葉する。今日は12月上旬の気候で、風が冷たく、母は寒いと毛布を引き上げた。

Ma_3

|

« カリン?マルメロ?、どちらか悩みながら咳止果実酒を作った。08年11月9日 | トップページ | 墓は自然に風化して無くなるのが良い。08年11月12日 »