宮崎大宮高等学校隣のイモ畑の苦い思い出。08年11月14日
午前中、母を生協浮間診療所へ連れて行った。今日は診察の他、私と母のインフルエンザ予防注射。今年から95歳の母は無料。私の方だけ診察代と合わせて3000円を支払った。
病院帰りに買い物をしたので昼食が大幅に遅れた。
昼食後は池袋へプリント用紙を買いに出た。人混みにいると頭が痛くなるので、早々に帰宅した。しかし、買って来た用紙は顔料染料共用。顔料専用と比べると紙も白味も薄い。無理して行ったのに、再度、顔料専用と取り替えに出かけなければならなくなった。
先日、母校、宮崎大宮高等学校から創立120周年記念写真集が届いた。母校からは毎年、寄付を募って来るが一度も応じたことがない。ただ一度、同窓生に絵を寄付してくれと頼まれ、劇団四季ポスターの仕事でボツになった15号の絵を贈った。その昔の記録に従って、事務的に送って来たのだろう。
昔の写真を期待したが僅か数枚だけだった。殆どはコメント付きの全校生徒顔写真と生徒活動の写真ばかりだ。見ず知らずのバカ面を延々と見せられても面白くない。これでは創立120周年の寄付をした卒業生たちは失望するだろう。
写真の中に、演壇に立つ社会党首福島瑞穂の写真があった。彼女の名前も説明もなかったので、後日同窓生に聞くと、「政治的偏向を避けたのだろう。」と話していた。昔から小心事なかれ主義の校風で、母校愛は生まれなかった。変わった卒業生に、元女子アナの花田景子や、殺人事件に関わった歌手の克美茂がいる。
変わった同級生には1975年のクアラルンプール事件の日本赤軍メンバー日高敏彦がいる。高校時代はサッカー部で、小柄だが頑強な体格をしていた。彼は翌年、庇護下にあったシリアからヨルダンに偽造旅券で入国しようとしてヨルダン当局に逮捕され、拘置所内で自殺した、とされている。しかし、当時の外務官僚に聞いたところでは秘密警察による拷問死だった。
写真集の冒頭に現在の高校の空撮写真があった。45年前の面影はまったくなく、昔のままなのはグラウンド脇の一本のクスノキだけだった。私がいた山岳部の部室はクスノキ近くにあった。部室裏塀の向こうはイモ畑だったが、今はマンションや住宅が建ち並んでいた。
そのイモ畑には苦い思い出がある。
山岳部後輩のKは、私たちが菓子パンを食べていると、いつも欲しそうな顔をしていた。
それを見て、ある日私たちは悪戯を思いついた。塀を乗り越えてイモ畑へ行き、太いイモ虫を捕まえて、ジャムパンの中に押し込んだ。
これ見よがしに菓子パンを食べ始めると、「先輩、美味そうですね。」とKはいつものように欲しがった。「食うか。」とジャムパンを渡すと、彼はすぐに頬張ったが、「ムーッ」とうめき声をあげてジャムパンを吐き出し、脱兎のように飛び出して行った。私たちは大笑いしたが、何となく後味が悪かった。以来、Kの視線に、氷のような冷たさを感じた。
Kは後年、神奈川の医大教授になった。10年程前、仲間が集まった時、「Kが俺たちに会いたいと言っているけど、どうする。」と一人が言った。
「Kはいも虫のこと、絶対に忘れていないだろう。」私は言った。
「医学部の教授なら、仕返しは何でもありだな。」
皆は無口になり、結局、会わないことにした。
勝ち組のKは、ただ懐かしがっているだけで、負け犬揃いの私たちへ仕返しする気はないだろう。しかし、私たちには後ろめたさがある。今も、イモ虫の不気味な姿を思い出しては、可哀想なことをした、と後悔している。
病院の後、知人が出品している赤羽公園の菊品評会会場へ95歳の母を連れて行った。
赤羽公園のドラ猫。顔にけんか傷がある。でも人懐っこくて、呼ぶと近づいて来た。
赤羽教会。
教会前のメインストリート。
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