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2008年11月18日 (火)

三ノ輪から竜泉を経て、千束の鷲神社の酉の市へ。08年11月17日

A_1A_3A_4A_5A_6A_7A_9A_10A_11A_12A_13A_14A_15_5A_16A_18上野歯科医院の予約は12時45分。急いで母に昼食を食べさせて出かけた。歯科の後に、鷲(おおとり)神社の二の酉にお詣りする。

右下親知らずの歯根治療が終わったのは2時。母に電話を入れ、無事にベットに就いているのを確認して、赤羽から京浜東北線で王子へ。

王子で都電荒川線に乗り換えて三ノ輪へ向かう。毎年、このコースで酉の市へ出かける。

カレンダーを見ずに慌てて家を出たので、今日が二の酉なのか確信がない。荒川線ホームの仮設改札の駅員に聞くと、「間違いありません。熊手を抱えたお客さんを、沢山見かけましたよ。」と丁寧に教えてくれた。都電の駅員は下町らしく、人情味があって気持ちが和む。

車内は老人ばかりで、若者の姿は殆どない。いつものように私は運転手の後ろに立って前方の風景を眺めた。

熊野前停留所を過ぎる時、いつも20年前の番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』を思い出す。それまで寂れていた熊野前商店街が番組で取り上げられると注目を浴びた。しかし、番組終了とともに寂れてしまったが、今は舎人ライナー開通でマンションが増え、活気づいている。

終点間近の荒川二丁目辺りは路面ではなく直線の都電専用線。都電は最高速度60キロに迫る50キロ台で直進した。

終点の三ノ輪は閉まっている店が多く、去年より寂れていた。
レトロな梅沢写真館のアーケードを抜けると日光街道。それを右方向へ行くと地下鉄日比谷線三ノ輪駅。そこから左の国際通りへコースを変えると、露店が並び、熊手を抱えた酉の市帰りが増えた。

混雑する露店を避けて、竜泉3丁目で左折し一様記念館に向かう。記念館は月曜で休館。少し引き返して裏道へ右折すると進行方向に鷲(おおとり)神社裏口の雑踏が見えた。途中、航空機乗務員など航空関係者の参拝が多い飛不動尊(別名飛行神社)にお詣りした。

裏ぶれた三ノ輪コースには旅愁を感じる。昔は軒の傾いたような食品問屋や食べ物屋が並んでいたが、今は地上げされてマンションに変わった。

露店の雑踏を歩いていると、知人たちと酉の市へ出かけた昔のことが蘇った。当時の酉の市は寒く、冬支度で出かけていたが心は温かかった。今日は汗ばむ程の暖かさなのに、何となく切ない。

裏道から再度右折して国際通りへ戻り、正門から鷲神社にお詣りした。
不景気のせいか大混雑だ。警備がお賽銭は投げないようにと声を枯らすが、頭上を硬貨が飛んで行く。お詣りは多いが、賽銭箱は小銭ばかりでお札は少なかった。お詣りを済ませ、熊手のお札を1000円で受けた。

白熱灯で照らされた熊手が華やかで美しい。熊手が出たのか、時折、手締めの音が威勢よく響いた。

帰りは浅草寺へ向かった。裏門を出ると再び夜店。昔はあちこちで蒸した八頭を売っていたが、今は見かけない。例年、土産に芋ようかんと切り山椒を買っていたが、母の食欲が落ちた今は、まったく買わない。

夜店は千束通りからひさご通りまで延々と続く。ひさご通りから、すっかり近代的に変わった旧浅草六区から花やしきを過ぎて観音様へ入った。

昔の浅草六区にはストリップ小屋が多く、若い頃は何度も通った。それから10年ほどして、北野たけしが小屋の所属芸人さんになった。

昔、この近辺は怪しげな飲み屋が多く、何の肉か正体不明のモツ煮込みを食べさせていた。その頃、お嬢様育ちの女の子と飲みに行ったことがある。あまりにも場違いな彼女は地元客に珍しがられ、次々とビールや煮込みを奢ってもらっていた。その彼女はすでに、孫のいる歳になっている。

観音様は平日なのに大変な人出だった。人混みから聞こえるのは外国語ばかりですっかり国際的だ。賑わいは新装なった宝蔵門の効果かもしれない。

本堂でおみくじを引こうか迷ったが、母がガンで倒れた前年、3回連続凶を引いてしまったことがあるので止めた。そのことは、02年12月13日「浅草寺のおみくじは凶が多い」に記述。

大混雑の仲店通りを避け、裏道を真っすぐ急いだ。

地下鉄浅草線に乗ると、昔の夢から現実に引き戻されてしまった。上野駅から眠っている間に赤羽に着いた。帰宅は5時。母は何事もなくベットに寝ていて安堵した。

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