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2008年11月28日 (金)

20世紀末、終電後の深夜には、偽警官に老人ナンパが跋扈していた。08年11月28日

Dai写真。緑道公園陸橋から左手に赤羽台3丁目。20年前は古い家ばかりだったが、殆どが新しく建て変わった。
現住所へ引っ越す前、この自然林の中に隠れ家のように旧居があった。玄関への正式な道は低地から階段を上って行くのだが、私たちは家裏の山道を利用していた。
その頃、遊びに出るといつも午前様で、その真っ暗な細い山道を手探りで帰宅していた。

飲むのは下北沢が一番多かった。帰りは小田急線終電に乗り12時半頃に新宿に着いた。当時の埼京線終電は12時で間に合わず、1時まで運行している山の手線で池袋に出た。池袋からは金に余裕があればタクシーを拾ったが、大抵は赤羽まで13キロを2時間半歩いて帰っていた。

当時は、若者の強奪事件「親父狩り」が頻発し始めた頃で、暗い住宅地の道は避け、車が多く街灯が明るい幹線道路を選んで歩いた。それでも、車が次々と行き交う道路反対側で4,5人の若者達にボコボコに殴られ蹴られている中年を見かけたことがある。それは一瞬のことで、警官が駆けつけた頃には、若者達は散って消えていた。

そのように深夜に歩いていると、警官の不審尋問にもよく会った。そんな時に身分証明書があれば良いのだが、運転免許証など何もないので、身元を証明してくれる友人に電話した。当時は朝まで起きている友人が多く、電話をかけても心良く対応してくれ助かった。

帰宅コースは山手通りから中山道。中山道の板橋本町で環七に左折して姥ケ橋交差点から西が丘サッカー場を経て帰宅した。西が丘サッカー場辺りは寂しい場所だが、その辺りで空が白み始め、新聞配達や早朝出勤の勤め人がちらほら見えて安堵した。

深夜の道では、深夜営業のラーメン屋やコンビニの明かりが心強かった。
酔い覚めで腹が減ると、ラーメンやコンビニの中華饅を食べた。終夜営業のファーストフード店でコーヒーを飲むこともあった。深夜から明け方のファーストフード店は老人の溜まり場になっていた。お洒落をして来ている老人も多く、早朝散歩のおばあさんたちに声をかけナンパしていた。今は自然公園で馴染んでいるが、当時は老人社会は異次元の世界で、老人達の会話を聞きながら夜明け前のコーヒーを飲むのは楽しかった。

タクシーに乗れば午前2時前に帰れた。
家近くの通りでタクシーを降りて路地を歩いていた時、若い警官に不審尋問を受けたことがある。当然、身分証明はなく、「家は直ぐ近くですから。」と、警官に着いて来るように言ってグイグイ歩いた。路地を抜け真っ暗な山道にさしかかった時、警官は立ちすくんだ。
「直ぐ近くですから。」と、せかすと、「分かりました。これ以上必要ありませんので。」と警官は引き返して行った。どうやら、身の危険を感じたようだ。

その時は軟弱な警官だと思ったが、今思うと、あれは偽警官だったような気がする。
その若い警官は、気の弱そうな丸顔に眼鏡をかけた小太りで、どう見ても格闘訓練を受けた体型ではなかった。加えて、一人で不審尋問したのも変だ。不審尋問は二人一組が原則で、一人が逃げ道を塞ぐように立ち、もう一人が尋問していた。多分、警察オタクの若者が制服を着て、不審尋問を試してみたのだろう。

Midori緑道公園にて。
昨日から降り続けた冷たい雨は、午前10時頃にやんだ。
それから、母の散歩へ出た。雨に打たれた枯れ葉が絨毯のように道を覆って美しく、冷たい雨上がりの大気も心地良い。この季節の日に日に進む紅葉の美しさは、一日も見逃せない。

今日の朝日新聞に、思い出に浸ると惚け防止になるとあった。それは私も同感で、母の思い出話しは真面目に聞くことにしている。母が惚けていないのは、そのおかげかもしれない。

Ma_3

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