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2008年11月20日 (木)

冷たい朝、新河岸川に流れて行く人生。08年11月20日

Fuji昨日今日と風が冷たい。今朝も冬のように大気が澄み渡り、富士から上越の山々まで一望できた。私はこのくらいの気温が一番好きだ。

しかし、母には辛い季節だ。10月、夏の疲れからやっと回復したのに、再び体力は下降線をたどりはじめた。最近はベットから起き上がるのも辛そうで、夜昼なく、ブザーで呼びつける。
呼びつけられても、つまらない用事のことも多い。殊に、夜、睡眠薬を飲んでから寝入るまでの朦朧とした時間帯は、「入歯の容器を片付けてくれた?」「寝る前の緑内障の目薬をさしたかしら?」「夕飯は食べたかしら?」などと、馬鹿馬鹿しい用事ばかりだ。
「全部、済ませたよ。」と答えると、「ありがとう。」と、母はすまなそうに言う。へそ曲がりな母の素直な言葉を聞くと、死が近いのかなと寂しくなる。

しかし、好奇心はまだ残っているようだ。
先日月曜の冷たい早朝、サイレンが次々と到着し、玄関前通路が騒がしくなった。また火事かと外に出ると違う。下の新河岸川中程を、うつぶせ死体がプカプカ浮いている。お隣から双眼鏡を借りて眺めると、初老の男性のようだ。地味な緑色ジャンバーの膨らんだ背中に、半分脱げかかったズボンから白い股引が見える。朝の上げ潮に乗って、下流から遡って来たようだ。最初に発見したのは、下流浮間橋の通行人たちで、さぞや驚いたことだろう。浮いている様子では死後10日ほどか。カギ棒を持った消防隊員たちが、河岸の草むらをゆっくり追いかけていた。
水死体の近くでは鴨たちがのんびり泳いでいた。彼らには人の死体も、ただの物に過ぎない。その向こう、対岸の堤防沿いの道には、勤め人たちが北赤羽駅へ急ぐ。彼らは川面のことなど、何も気づいていなかった。

部屋に戻り、暖かい日溜まりで居眠りしていた母を起こし、水死体のことを話すと、目を輝かせ見に行くと言う。
「バカ。人の不幸は見学するものじゃない。」と、言うと、母は残念そうにあきらめた。若い頃から母は野次馬で、火事でも台風の大波でも、必ず見物に出かけていた。まだ、好奇心が残っているだけ、元気なのかもしれない。

再度、外へ出ると、消防署の小型船が来ていた。船尾の水中にリフト付きの1畳ほどの白い板状のものが見える。隊員はカギ棒で死体を引き寄せて板の上に乗せ、リフトで持ち上げ下流の親水公園まで連れて行った。親水公園の河岸は水面へ階段状になっていて、引き上げるのに好都合だ。先月、水難事故が起きた時も、そこで収容していた。
はっきり死体と分かっている今回のケースでは、テレビドラマのように隊員が舟へ引き上げたりはしない。あのシーンは、助かる見込みがある時だけなのだろう。

死体が収容されると見物人は消え、いつもののどかな川面にもどった。河岸の桜やケヤキの紅葉が美しい。亡くなった方の人生が辛いものだったとしても、今は何の悩みもない。朝食後の散歩の出かけ、母は川へ手を合わせていた。それから数日、新聞記事に注目していたが、それに関する報道はなかった。自殺か転落死だったのだろう。

H081120更に秋めいた緑道公園。

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