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2008年12月17日 (水)

死が近づくと、いつもと違う雰囲気を感じる。08年12月17日

SazankaSizenWatasi上、緑道公園の山茶花。
予報より早く雨が降り始めた。冷たい雨だが、車椅子の母は、雨具、毛布、湯たんぽと完全装備なので温かい。

中、赤羽自然観察公園。
すっかり冬景色に変わった。私にとって雨に濡れた寒い色合いは都会のイメージで、いつも懐かしく感じる。子供の頃、連れて行ってもらった北九州の煤煙に汚れた都会風景の記憶と重なるのかもしれない。当時暮らしていた日南地方の緑豊かな海岸風景に馴染んだ目に、都会のくすんだ風景がとても珍しかったのだろう。

下、自然公園の古民家。
最近はカッパのフードはかぶらず、この帽子を雨除けにしている。フードは視野を狭くして、車椅子を押すのに危険だからだ。帽子は撥水剤を染み込ませた厚いフエルト製で、強い雨に打たれても内側まで水は染みない。

最近、散歩中、
「裕子は死んだんだね。」と、10月に死んだ姉のことを母は一言つぶやく。その後、話題にしないが、私は姉と電話で交わした最後の会話を思い出す。
6月頃、姉は入院中の病院から、娘たちとの軋轢について電話をしてきた。いつものことなので、さほど真剣に聞かなかったが、気になったのは、いつもと違う声の調子だ。遠い地の底から話しているようにはかな気で、とても弱々しかった。
今思うと、既に姉から生気が抜けていたのだろう。姪に聞くと、その頃から姉は退院後の生活は無いと覚悟したようで、住まいの身の回りのものは総て始末していた。

死が近づいた人は、いつもと違う雰囲気を漂わす。
昔、築地の癌センターに入院している知人をしばしば見舞いに行った。男子患者の内科病棟で、外科治療のできない末期ガン患者ばかりの6人部屋だった。昼間の病室は明るい普通の印象だが、夜になると残して逝かなければならない家族のことを思い、患者達は皆、嘆いていると知人は話していた。

その中に40代の患者がいて、時折、雑談をした。自分のことは殆ど話さない人だが、何となく気が合った。
2ヶ月ほど経た頃、見舞いに行くと彼はベットの上に静かに正座していた。いつものように挨拶したが、彼は私に気づかなかった。その時、彼の身体が半分透けて、病室の壁が見えたような気がしたのが、とても不思議だった。
それから暫くして見舞うと、彼はいなかった。知人に聞くと、私が見舞った日の夜、容態が急変してそのまま逝ったと話した。死が近づくと影が薄くなると言われているが、あれがそうだったのか、と思った。
知人はその後、自宅療養に移り、半年後に急変して緊急入院した川口の病院で亡くなった。

さて、死に一番近い母だが、最近は死の影が薄まったり濃くなったりしている。自然公園では死の影が消えているが、深夜、激しく咳き込む母の背をさすっていると、このまま逝くのかなと考え込んでしまう。

母自身、暗闇の中で死ぬのは厭なようで、いつも深夜までテレビを点けっぱなしにしている。私にはうるさい音だが、母は賑やかな喋り声が安らぐようだ。私も老いた時、母と同じようにテレビを点けたまま眠るようになるのかもしれない。
家族がいようといなかろうと、人は孤独に逝く。しかし、死に至る過程は様々だ。できることならウソでも、にぎやかに終わりを迎えたい。


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