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2008年12月28日 (日)

神棚とパソコンの大掃除しながら、色々と寄り道。08年12月27日

UkimaDaiKumo上、昨日、母の生協浮間診療所の帰り、浮間橋から荒川、川口方面を遠望。

中、赤羽台の階段上の家。
昨日は猛烈な寒風が吹き荒れ、雲が激しく流れていた。

下、今日の雲取山遠景。山は厳しい寒さだろう。暮れ一番の寒気で、緑道公園脇は霜柱に覆われていた。しかし、風はなく穏やかな好天。

暮れには神棚を掃除する。神棚は祖母がお稲荷さんを信仰していたので、子供の頃からいつも身近にあった。

今年は散歩中に姉が来て、大掃除のついでに神棚も掃除してくれた。それは助かるが、姉は癇が強くて仕事が粗い。案の定、帰宅すると神棚のお稲荷さんの提灯を壊していた。散歩途中、「神棚の掃除はしないで良いよ。」と電話を入れようと思って止めたのを後悔した。提灯は50年以上前、大堂津の祖母の知人がくれた品で、紙が脆くなっているので、毎年、丁寧に掃除していた。

姉は買って来るから店を教えろ、と言ったが、自分で買うからと断った。以前から、何か願い事が叶ったら、新しくしようと思っていた。しかし、浅草の稲荷町界隈の神具店では縁起物として、べらぼうに高く、願い事が叶っても買わなかった。今回は、ネット通販で提灯を調べてみた。安いが、どのデザインも安っぽく、年が明けたら、提灯に代わる品を考えることにした。

私は宗教的な人間で、寺、神社、教会、と宗派に関係なく敬意を払う。しかし、入信を薦められるときっぱり拒否する。
昔、知人の奥さんから仏教系の新興宗教の伝道師に会ってくれと頼まれたことがある。知人には仕事で世話になっていたのて、断れずに応じた。
知人宅を訪ねると、小太りの熟年女性伝道師が待っていた。
「貴方の未来には暗雲がたれ込めている。」
いきなり、彼女は私の痛い部分を突いて来た。当時、私は絵描きに転向したばかりで、先行きは不安だらけだった。
「いずれ、野垂れ死にすると覚悟している。」と答えると、伝道師はここぞとばかり、未来を明るくするには信仰が必要だと来た。
「みじめだけど、好きな絵のためなら仕方がない。」と答えると、彼女は言葉に窮し、知人の奥さんに、こんな自虐的な人間は地獄に堕ちる他ない、と小声で話した。
私はそれにムッとし、「悪いことが起きないよう、家のお稲荷さんに任せてある。」と、付け加えた。すると彼女はしたりと勢いを取り戻し、「キツネが神体の邪教を信じていると、半身が獣に変わりますよ。」と、口汚く反撃した。
「ほほう、下半身が獣になってくれるのなら願ったり叶ったりですね。」と、面白がると、彼女はあきれ顔で帰って行った。その後、知人夫妻に御馳走になったが、何となく気まずさが残った。

住まいの大掃除はあらかた姉が済ましていたので、パソコンのゴミを掃除した。その中に、グリーフケアと名付けたファイルがあったので開いてみた。

中身は死別の悲しみへの対処方法だった。若い頃から別れを数多く経験しているので、グリーフ-悲歎-への対処方法は心得ていると思っていた。しかし、6年前、母が肝臓ガンを宣告されて死を予感した時はかなり辛く、精神医学での対処方法をファイルしておいた。

内容を要約すると、
死別における一番重いのは子供を亡くした親の悲しみ。次は伴侶の死、親の死が続く。
死別の悲しみは、素直に人に話し、同時に一人で耐える月日を経なければ決して解決しない。愛する者を亡くしたのに1ヶ月で平気になれるとしたら、本当は何も解決していず、却って悲しみを長く引きずることになる。
「早く忘れて、立ち直りなさい。」との励ましは禁句。死を話題にしないのもダメ。さりげなく故人を話題にし、遺族の嘆きを優しく共感しながら聞いてあげるのがベスト。
あらためて読み返してみると科学的でツボを得ている。当然、そのファイルは捨てずに置いた。

大掃除の時、畳下に敷いた古新聞に読みふけって掃除が中断することがある。パソコンのファイルを開くのも、それにちょっと似ていると思った。

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