終わりが近いと感じているのか、母はありがとうを頻発するようになった。08年12月29日
午後4時、母にブザーで呼ばれた。急いで行くと、
「今日のお昼食べたかしら。」と、母は怪訝な顔でベットに寝ている。
「食べていない訳がないだろう。馬鹿馬鹿しい。」と突き放したが、母は納得しない。丁度、母に風邪予防に葛根湯を飲ませる時間なので、薬と水を持って来て、
「はい、今日のお昼はこれ。」と、葛根湯の顆粒を飲ませた。しかし母は、
「食べたか食べていないか、きちんと教えてよ」と不満げだ。
「いつも二人同時に食事をするんだから、こっちが食べていたら、そっちも食べているよ。」
分かりやすく説明すると、
「記憶がはっきりしないもので、信用しなくてごめんね。」と、母は謝った。
午後から深夜にかけて、母は錯覚や幻視を起こしやすい。昨夜は、
「腕に嵌めておいた輪ゴムを落したから探して。」と私を呼んだ。勿論、輪ゴムなどしていない。昔、母は買って来た商品の輪ゴムを落さないように腕に嵌め、台所仕事をしていた。どうやら、その頃の記憶が蘇ったようだ。回りの状況から説明すると、やっと納得して眠りについた。
他にも、目薬をさしていない、薬を飲んでいない、日めくりが間違っている、と、錯覚することが増えた。
しかし、午前中の母はしっかりしている。今日の赤羽自然観察公園へ向かう道すがら、
「長いこと、車椅子を押してくれてありがとう。」と、しおらしいことを言った。
"お礼を言うほどのことではない"、と答えるべきだが、三文芝居の台詞みたいで照れくさく、
「まあね。」と曖昧に答えた。
母が車椅子になってから7年目、肝臓ガンから復帰してから6年目に入った。ガンから復帰した頃は、2年の命と思って、毎日、車椅子で赤羽自然観察公園へ連れて行った。しかし、自然の治癒力は偉大で、思いのほか生き長らえてくれた。それでも必ず終わりはある。母に「ありがとう。」が増えたのは、終わりが近いと感じているからだろう。
あの超大国のアメリカでも凋落を始めた。元気自慢の聖路加病院理事長の日野原重明氏でも、やがて老いて普通の老人になってしまうだろう。同じく元気自慢の森光子も最近は老いを感じ、今年からは放浪記定番のでんぐり返しを封印し、万歳三唱に変えた。本当はそれが人の自然な姿だが、人はどうしても永遠を望んでしまう。
先日、老親を介護して見送った知人と
「子供を育てるのと違い、親の介護は最後に喪失感で終わりますね。」と、電話で話した。
グリーフケアの統計に、子供に先立たれてから親が立ち直るのに平均5年、伴侶に先立たれてからは3年、親に先立たれてからは2年を要する、とあった。個人差はあるが納得できる。電話口の知人は父上を亡くされてから2年。ようやく、言葉に落ち着きを感じた。
上、赤羽自然観察公園の冬日射し
下、公園の日溜まり。遠目には枯れ野でも、枯れ葉の間にはしっかりと緑が生きている。
自然は老いるものと同時に、生まれ成長するものがあるから素晴らしい。
自然と違い経済は一斉に落ち込んでしまうことがある。
今回の大不況では、最強トヨタが一瞬で赤字に転落し、大量生産の怖さを実感した。トヨタは今年前半から、世界各地の現場から売り上げ落ち込みの報告が本社に届いていたのに、首脳部に無視されて生産力拡大に突っ走り傷を深くした。来春の社長交代を唐突に感じたが、この経緯を知ると交代はしかたがない。
世の中、暗いニュース一色で希望がなくなりそうになる。
しかし、来春を大底にして、以後、回復に向かうシナリオは間違っていない。繰り返すが、絵描きの直感は当たる。来年の夏頃には、景気回復の曙光に世界はホッとしているだろう。絶対に間違いない。
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