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2009年1月16日 (金)

バソコンだけが私の誕生日を覚えていた。09年1月16日

毎朝、最初にメールチェックする。殆どはスパムでまっとうなメールは殆どない。そのまっとうな中にniftyからの誕生日お祝いメールがあった。私自身、1月16日が64回目の誕生日だったことは完全に忘れていた。多分、今朝1番のパソコン起動時にも「誕生おめでとう。」のMacの表示があったはずだが、いつも起動と同時に家事を始めるので、長いこと確認していない。

今日は母の生協浮間診療所での定期診察。
朝食後、新河岸川河畔の遊歩道を急ぎながら、「今日は何の日。」と車椅子の母に聞いてみた。
「成人の日は終わったし・・・。」
母は考え込んでからやっと誕生日を思い出し、「おめでとう。」を言った。
「めでたいのかどうか。」
私は曖昧に答えた。二十歳や年金支給開始年などと違い、今日を境に変わることは何もない。あるとすれば、残り寿命が1年減った、あせりくらいだ。

早く行ったので予約時間通り診てもらえた。最近の母の体調は安定している。医師は「総て結構ですね。」と、母に笑顔で言った。
診療所帰り、「もっと、色々言ってくれれば良いのに。」と母は不満を漏らした。母は病気オタクで、あちこち悪いと言われると生き生きして来る。
母の調子が良いのは葛根湯の効果だと思っている。風邪予防に1日1服飲ませ始めてから、咳とタンが激減した。診察時にそのことを医師に伝えると、今日の処方に加えてくれた。市販の葛根湯は高いので、処方してもらえると、とても助かる。

早く診察が終わったので赤羽自然観察公園へ行った。今朝の寒さで、田圃の水たまりも、ジャブジャブ池も氷結していた。広い氷面に小石を投げると、遠い対岸まで滑りながらヒュルヒュルと音をたてて飛んで行った。とても爽快なので、小石を拾っては何度も投げた。

OoinuHidamari日溜まりの枯れ葉の中にオオイヌノフグリが咲いていた。
予報では、今日を最後に寒さは緩むらしい。
日射しが温かく、冷気が心地良いくらいだ。

帰り道の桜広場に冬木立が美しい影を描いてた。のんびりと車椅子を押していると、
「本当に、長いことありがとう。」と母が言った。私は何も答えず、黙って車椅子を押した。最近の母は老い先が長くないと感じているようだ。私も、寝ている母を見ていると、先が長くないのでは、と思ってしまう。

昨夜、いつものように肩を出して寝ている母の掛け布団を直した。
いつもなら、反応してピクリと動くのだが微動だにしない。2,3分眺めていたが、息をしていないように見える。死んだのかなと額に手を当ててみると温かい。しかし、死んですぐなら体温は残っているはずだ。心配になって再度触れると、母は目を覚ました。
「竹のあれ、どこに行ったかな。」
あれとは孫の手のことだ。母はそれを使って、電灯スイッチの紐を引き寄せて、点けたり消したりする。枕元の孫の手を手渡すと「ありがとう。」と母は言った。
それから母は、暗い部屋で何かボソボソつぶやいていた。私は「早く寝な。」と言って仕事部屋へ戻った。

35年前、祖母の終わりの頃にも、そのようなシーンがよくあった。
夜中、のどが乾いた祖母に呼ばれて吸い飲みを口元にあてると、祖母はほんの少し飲んで「ありがとう。」と言っていた。それから決まって、祖母は何かボソボソと話しかけていたが、「早く、寝な。」と私は仕事に戻っていた。それから1年足らずで祖母は死んだ。
そんなことを思い出しながら、母の死も近いのかな、と思った。

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