« 時折惚ける母の相手をしながら、劇団七曜日時代を懐かしく思い出した。09年1月25日 | トップページ | 派遣の若者に老人介護は難しい。09年1月29日 »

2009年1月27日 (火)

いつも身近にある、とても大切なもの。09年1月27日

OinaM_otaこの神棚のお稲荷さんは祖母が大切に祭って来たもので、母が子供の頃からあった。
戦災や幾度もの引っ越しの時も、母は大切にしてきた。
神棚は昔は立派なものだったが、いつの間にか壊れ、30年前に、私が手作りで作り変えた。古びているが、丁寧に頑丈に作ったので何処も傷んでいない。

30年の間に、私の周りの人も世間も変化したが、この神棚の中は変わらない。写真のように、夜、灯明が点いた神棚の中を覗くと、いつも変わらない温かい異空間があり、とても心安らぐ。


もう一つの大切な品は下写真のオタフク鎚だ。
1963年、宮崎から上京して芸大を受験して失敗し、浪人する気はなくブラブラしている時、フランス彫りと江戸金型師の系譜を継ぐ彫金の名人渡辺弘氏を知り、直ぐに師事した。
その時、最初に貰ったのがこのオタフク鎚だ。タガネを叩くための10匁の小さな鎚で、彫金で一番大切な道具だ。

鎚はタガネの当たる中心部以外の表面だけに焼きが入っている。だから、タガネを叩く内に柔らかな中心面が丸く窪んでくる。弟子入りした時に自分で作った柄は、9年後の独立と同時に写真のものに取り替えた。

その頃、田端駅近くに樫材の問屋があった。白樫、赤樫、様々な材が山積みになっている中から、2寸角2尺の白樫の角材10本ほどを選び買い入れた。
その中で更に木目が良いものを選び、斧で裂いて、柄に合った木片を選び、丹念に削って作った。そのように作ると、芯の木繊維が切れないので、100年使っても折れない。
オタフク鎚はそれから18年後、彫金を辞めて絵描き専業に転向するまで、私たちの生活を支えてくれた。

腕の良い職人なら、この写真を見ただけで柄の出来が良いと分かる。ポイントは柄の端と鎚の叩き面が直線上にあることだ。叩き面の先が斜めに浮いているとバランスが悪く、タガネに直角に当たらず良い仕事ができない。

オタフク鎚は今も仕事机に置いてあり、辛いことがあると手にする。掌の形に合わせて丸く削った柄の端は、柔らかく掌に馴染み、不思議に気持ちが落ち着く。

師事した渡辺弘氏は一般に知られていない町の名工である。氏の師匠は明治時代にフランスに留学して洋式の彫金技法を身につけた江戸金型師である。その人の一番弟子が氏で、代表的な仕事は、1961年の美智子妃婚礼時のティアラである。

その時、氏は最重要工程を担当した。
工程を説明すると、プラチナ合金に穴を開け、ダイヤを入れて地金をタガネで起こしながらダイヤに被せて固定する。被せた地金は玉に丸める。その後、縁とダイヤの間を片切りタガネで帯状に削る仕上げの難作業がある。
もし、タガネ先がダイヤに僅かでも当たると、瞬時に欠けてしまう。しかし、ダイヤからタガネが逃げ過ぎると削り残しが出て、汚く仕上がる。だから、ギリギリの境を美しい鏡面に一気に削り上げなければならない。
使われた大量のダイヤは明治天皇の皇后、昭憲皇太后が使われていた宝物からの転用の旧カットだった。旧カットのダイヤは原石に近い形状で真円ではない。それゆえ、ダイヤの際を直線に揃えるのは難しい。その複雑に蛇行する曲線を狂いなく鏡面に削るのは超人的技である。しかも地金は、ティアラ軽量化のために、プラチナ・イリジウム合金が使われていた。この合金は大変に硬く削りにくい。
しかし、40代で脂が乗り切っていた渡辺氏は、一気に寸分の狂いもなく鏡面に削り終えた。

おそらく、これ以上のティアラは、今後、我が国だけでなく、世界中のどの国でも絶対に作ることができない。それ程に美智子妃のティアラは、宝飾品史上世界最高の日本人職人たちの技術が集約されている。このティアラの仕上がりと比べると、セレブたちにもてはやされている欧米有名宝飾メーカーの品は極めてお粗末に見える。

このティアラには後日談があった。
警察官に24時間厳重警備されたミキモトの工房で、極秘に作られていたはずのティアラが、毎日グラフにスクープされ紙面を大きく飾った。スクープしたのは氏の師匠の息子のカメラマンである。公開前に撮影出来たのは、ティアラがミキモトの工房に始めからなく、町中の無防備な工房で作られていたからだ。この事件には各部署の責任問題が絡み、結局、許可されて撮影したことになった。真相を知る関係者の殆どは、今は鬼籍にある。

私は渡辺氏の最初の弟子で、氏は大変苦労した。毎朝遅刻するし、気ままに休む。氏の言いつけは聞かず、奥さんの料理には文句をつける大変に厄介な弟子だった。そんな弟子だったので、私が独立した時、氏は厄介払いができて大変安堵したようだ。

|

« 時折惚ける母の相手をしながら、劇団七曜日時代を懐かしく思い出した。09年1月25日 | トップページ | 派遣の若者に老人介護は難しい。09年1月29日 »