« いつも身近にある、とても大切なもの。09年1月27日 | トップページ | 民も公も国家も無責任ばかり。09年1月31日 »

2009年1月29日 (木)

派遣の若者に老人介護は難しい。09年1月29日

NiwaAzamiHaha091上、東京北社会保険病院の庭。

中、寒さを耐えるアザミ。ロゼッタ模様と呼ばれるこの姿が好きだ。

下、東京北社会保険病院から下の公園へ下る。

月末の支払いのめどがつき、2月は乗り越えられそうで安堵した。
43歳の時、安定した仕事を捨て野垂れ死に覚悟で絵描きに転身したが、押し寄せる大不況の波には、毎月、身がすくむ思いをしている。覚悟したと言え、老親を抱えていては絶対に野垂れ死にはできない。

母は半月前にできたことが、今はできなくなった。半年前の母はずっと元気で、遠い昔のことのように思える。望むのは、穏やかな生活の中で静かに逝ってくれることだ。

今年は全世界で、ブラジル人口に匹敵する2億人が失業すると言う。
もし、2億国民総てが、失業している国があったとしたら。国民はまず国土を開墾して、農漁業を始める。それに伴い、農機具を作る者、舟を作る者、運ぶ者が現われ、徐々に失業は解消して正常な国に変わって行く。

しかし、現実の失業者は社会の中に埋没して、解決を難しくしている。多分、日本人の殆どは失業者を間近に見ることはない。だから、不安を抱きながらも、失業は自分とは少し離れた出来事だと思っている。困ったことに、為政者も役人達も、更に失業の不安がない者ばかりだ。国会中継を見ていても、与党も野党も笑顔だらけで、深刻さは微塵もない。そんなノー天気な連中に、失業問題の解決を委ねなければならないのは不幸だ。

母の定期診察を東京北社会保険病院眼科で済ませてから駅前へ出た。雑踏に、キャリーバッグを引く派遣らしき若者を散見する。一様に、黒のダウンジャケットにニット帽。どうやら、この3点が派遣のアイテムのようだ。

先日、派遣切りについて、元金融会社社長と激論した。社長は、組織に束縛されず、自由気ままに生きようとした報いだから同情の余地はないと、擁護する私に厳しく反論した。
一部に限定すれば、彼の意見は正しい。北海道のハローワークでの若者は、住まい食事付きの牧場の仕事を、きつくて汚いから厭だと断り、原宿でかっこいい仕事がしたい、と言っていた。他の画面でも、豚の飼育は汚くて臭いとか、役職は責任を負うから厭だとか、私の感覚とかけ離れていた。

そんなごく一部の失業者を除いても、全体像は昭和初期の失業者とかなり違う。100年に一度でも、大恐慌の人身売買や死者が多く出た凄さとかなり違う。もし、あの時代の失業者を今にタイムスリップさせたら、何と豊かに好景気を謳歌している国だろう、と羨むだろう。

失業者の受け皿に、慢性人手不足の介護施設が注目されている。しかし、牛豚が臭いと敬遠した若者たちに、老人介護ができるとは思えない。はっきり言って、牛豚より人の糞便は臭く、老人達は牛豚より可愛くなく、取り扱いも厄介だ。牛豚は、言うことを聞かなければ、ちょっと蹴っ飛ばしても壊れない。「オイコラ。」と乱暴な口をきいても平気の平左だ。しかし、老人は優しく扱わないと直ぐに傷ついてしまう。それを我慢して勤めてくれる奇特な者がいたとしても、好景気が戻って来たら、殆どはさっさと辞めて楽な仕事に戻って行くだろう。

派遣労働者の失業問題は、国レベルでスキルアップと心の教育を徹底させないと解決しない。報道に出ていた元派遣の若者は、長年単純労働ばかり続けていたので、自分で考え行動できなくなった、と話していた。
まともに人と会話出来ない若者。自分で何も考えない若者。派遣制度が人の品格まで破壊したのかもしれない。

|

« いつも身近にある、とても大切なもの。09年1月27日 | トップページ | 民も公も国家も無責任ばかり。09年1月31日 »