来年正月どんな生活をしているかは考えず、屠蘇セットを片付けた。09年1月4日
散歩から帰ると、雲取山をバックに飛行船が音もなくゆったりと北方向へ移動していた。そそっかしい人はUFOと見間違えるかもしれない。
年賀状はあらかた届いた。母の年賀状は25枚出したが、今のところ母宛は13枚だけ。最終的に、去年よりかなり減ることになりそうだ。母が出した相手は高齢の方が多く、老いて出せなくなったか、鬼籍に入ったかどちらかだ。寂しいことだ。
今年の屠蘇は格別に出来が良く美味い。例年、屠蘇は松の内一杯残るのに、今朝で空になった。屠蘇セットは先程洗って窓際に並べておいた。2,3日そのまま陰干しして、箱にしまう。
去年、屠蘇セットを片付ける時、今年の正月は母が逝って一人で過ごしているかもしれない、と考えていた。今年は来年のことは考えず、ただ無事に正月を迎えられたことを感謝しながら片付けることにしよう。
先のことばかり考えていると、今をおろそかにして時間が無駄に過ぎてしまう。先へ備えるのは当然だが、行き過ぎると自分を失い、一生が一瞬で終わることになる。それでは、せっかく得た人生がもったいない。
昨日、緑道公園の桜広場で失明した大型犬の小次郎君に出会った。目の手術跡は治っているが、傷口の保護具エリザベスカラーはまだ付けている。元気になった彼が、走って壁に頭をぶつけるのを防ぐために外出時だけ着用している、と飼い主のKさんが話した。彼もカラーの効能をよく知っていて、カラーがないと不安げだと言う。本当に利口な子だ。
小次郎君は以前と同じように、屈託なく大きな身体を擦り寄せて来た。そのように失明の不幸を潔く受け入れてしまう彼を見ていると、人の弱さを思い知らされる。もし、それが人の失明だったら、自殺を考えるほどに苦悩し、立ち直るのに長い年月を要する。しかし、彼らは過去の元気だった記憶を引きずらず、現実をそのまま受け入れてしまう。そのように強く生きられたら、悩みがなく楽なのだが、私にはとても難しい。
正しいか間違っているかは置いておいて、人は悩むことで猿人から進化することができた。
創世記の失楽園では、アダムとイヴは蛇にそそのかされ、禁じられた知恵の果実を食べ、苦悩の世界に追いやられる。このくだりは端的に文明の愚かさを暗示している。しかし、今更身に付けた知恵を捨てることはできない。結局は日々悩みながら人生を終えることになる。
昨日3日は知人夫妻と甥、二カ所の墓参りをした。昼過ぎ、母を来訪した姉に頼み、急いで出かけた。
以下総て携帯写真なので色味が悪い。
写真1。
Mさん夫妻が眠る十条の雪峰院。素晴らしい好天の下、穏やかな気分で詣った。以前、地元の人は尼寺と呼んでいたが、今の住職は男だ。以前は尼さんだったのかもしれない。酒好きのMさんのため、墓に酒をかけ、持参したミネラルウォーターで洗い流した。
写真2。
十条銀座。今はアーケードになっていて、都内では珍しく個人商店の活気がある。
写真3。
十条中央商店街を東十条駅方面へ抜ける途中にある篠原演芸所。大衆演劇の本山として有名。中央に黄地に畠山みどりと書かれた立て看板が写っている。
写真4。
東十条から京浜東北線で鴬谷下車。
左手は国立博物館裏の森。右手塀内側は甥が眠る寛永寺第一霊園。
写真5。
右手奥に、甥の墓がある。
入り口すぐの墓守の控え所では制服を着た4,5人が墓参客を待ち受けていた。私は2リットル入りミネラルウォーターを持参しているので、無視して進んだ。
維持出来なくなった墓が増えたのか、墓地に点々と更地があった。バブルの頃は希望者が順番待ちだったのに、隔世の感がある。
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