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2009年2月19日 (木)

王子の二の午へ出かけた。09年2月19日

IwabutiToire_2DemiseSeimon_218日、写真1。
昨日18日は王子稲荷の二の午。母には黙って、地下鉄南北線赤羽岩淵駅へ連れて行った。
「これから、王子の二の午へ行くよ。」ホームで母に伝えると嬉しそうだった。
写真後ろは車椅子用の補助板を持った駅員。この路線は極めてバリアフリー教育が行き届いていて、感じが良い。

写真2。
お詣りへ行く前に、北区立多目的ホール"北とぴあ"のトイレを使うことにした。
車椅子用は1階にあるが利用者が多く汚いので、10階のトイレを使うことにした。

風景は北方向で、中央左寄りに赤羽がある。
写真は車椅子用トイレから撮った。広さは4畳半ほどで窓も広く清潔。今まで使った中で最高ランクのトイレだ。手前半球形屋根は区立プラネタリウム。

写真3。
青空に雲一つなく、暖かくて素晴らしい縁日日和。初午より二の午は人出が少なく、車椅子を押すのが楽だった。

写真4。
王子稲荷の正門。写真を撮っていると、「車椅子のお手伝いしましょうか。」と何人もが声をかけてくれた。正門から私たちが入ろうとしていると思ったようだ。
「左手の急坂を押し上げて、本殿前へ出ますので。」と説明し、丁重に礼を言って断った。

本殿で商売繁盛家内安全とたっぷりお願いした後、裏手の社もまんべんなくお詣りした。
その一つ願い石では、おばさん10人ほどの一団が私の後ろに並んだ。私は願い事を唱えて、一気に顔の上まで持ち上げた。
「あら、軽いのね。」おばさんたちは言い合った。
「ええ、軽いですよ。」と順番を代わると、おばさんたちは楽しそうに試みた。しかし誰も、1センチも持ち上がらない。
「軽いはずなのに、どうしてだろう。」皆怪訝そうにしている。石の重さは20キロを少し欠けるが、コッペパン形で持ちにくい。私は「クククッ」と笑いを押し殺しながら後にした。

帰りは王子稲荷の裏道を抜けて、北とぴあ前に出た。
「本当に、良いお詣りだったね。」
母は何度も繰り返した。今年も無事に、母がお詣りできて私も嬉しかった。

19日。
昨夜から奥歯の歯茎の激痛で、よく寝ていない。
今日は母の入浴介助日なので、その間に治療に行こうと上野歯科医院へ電話を入れたが定休日。
治療は諦め、ブログ、メール、Wikipediaの私の項目をチェックした。すると、Wikipediaの私の項目に「大言壮語」の派手なテンプレートが貼付けてある。私は事実のみを淡々と書き込んだだけで、誇張とはとんでもない。怒りながら、あちこちクリックしていると、クレームの発信元は古手のウィキペディアンだと分かった。

丁寧に読めば彼の言い分はWikipediaの原則に従ったもので、分からなくもない。しかし、この原則が判断の仕方でどうにでも変わるところが問題だ。私は知人の項目を見本にして書いたが、彼の基準では容認範囲を超えていたようだ。それにしても、いきなり派手なテンプレートを貼付けられた気分は、厭なものだ。怒って争えば厭な気分が長引くだけなので、クレーム通りに書き換え、「大言壮語」タグを削除した。
一連の作業を終え、ふと気がつくと歯茎の痛みが雲散霧消していた。どうやら、カッと頭に血が上ったおかげて、血行が良くなり、痛みの原因が消えたようだ。

私がWikipediaの項目に書き込んだ訳は、編集中の私の名を偶然に発見したからだ。
この百科事典は誰でも自由にウィキペディアンになって、編集ができるしクレームも加えられる。しかし、自分の項目に、誰かが余計なことを書き込む前に、慌てて書き込んだのが拙かった。今まで、Wikipediaを気楽に利用していたが、それは明るい表の世界。その裏は、削除、書き換え、抗議などの編集合戦と、重箱の隅の突つき合いの世界だった。

このシステムでは書き込んだ項目の総てにWikipediaの著作権が生じ、書き込んだら誰も削除はできない。
この騒ぎにうんざりして、私は自分の項目を白紙に削除した。すると、5分以内にウィキペディアンから厳しいクレームが来て元に戻されていた。今日以降、自分の項目には手をつけないことにしたが、誰かが書き換えたり、不愉快なタグを貼付けたりすることはあり得る。この世界に踏み込むには、相当の覚悟が必要なようだ。これは、争いごとが厭な人は絶対に関わらないが良い。

Ma_3

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