難しい毎日だが、脚力尽くる時、山更に好し。09年2月2日
上。昨日、散歩コースの日溜まりで小さな土筆を見つけた。去年は2月2日なので新記録だ。土筆は卵とじにして、母と朝食で食べた。小さいがちゃんとほろ苦く、早春の香りがした。
中。生協前に繋がれていたクーちゃん。中にいるご主人を背伸びして探していたので、声をかけると尻尾を振って寄って来た。しかし、いつもの快活さがなく、心細そうだ。やはり飼い主が気になるようで、再び背伸びをして店内を一生懸命覗いていた。
下。赤羽自然観察公園の正門辺り。右手には軍用地時代からの見事な桜の古木が多い。左手には運動公園を建設中で、柵はやがて取り除かれる。公園が総て完成したら、写真以上に広々と気持ち良い場所になる。
母は顔色が良く、「お元気そうですね。」と散歩道で声をかけられる。
「元気なんかじゃありませんよ。中身はボロボロです。」
母はすかさず答えるが、信じてもらえない。ポロボロは謙遜ではなく本当のことだ。心臓は弱り、食事量は子供のままごと遊びのように減った。不足分は栄養剤のエンシュア・リキッドを朝夕に叱咤激励して飲ませて補っている。しかし、小食になった母の胃の容量は小さく、1回にコップ半分しか飲めない。30分ほど間を置いて飲ませるが、無理な時は吐き気止めのナウゼリンを飲ませて、無理に飲ませる。顔色が良いのは、それらのおかげだ。
足腰も弱り、ベットから起きるのも、椅子に腰かけるのも、手伝いが必要になった。朝の散歩で、服を着替えさせるのに立っていてもらうが、すぐに息が苦しくなり30秒も耐えられない。
93歳までビーズ細工に1日熱中していたのに、今は指先の動きが悪く、シャツのボタンを留めるのも時間がかかる。本当は時間がかかっても自分でさせるのが良いのだが、私の都合でつい手伝ってしまう。今、母が自分でできることは、手紙を書くこと、食事をすること、と数えられる程に減った。それでも、寝たっきりの人と比べたら、恵まれている。
弱って行く母を見ていると、自分の老後を考えてしまう。
今の私は元気だが、いずれ母のように弱って行く。寝ていて息苦しくなっても、一人者の私にはすぐに助けてくれる家族はいない。背中が痒くても、自分で痒み止めを塗ることもできない。
もっとも家族がいても、今時、母のように子供の世話を受けられる者は希だ。むしろ、家族がいない方が公的支援を受けられやすいかもしれない。
母の体力は日に日に低下しているが、病変は何とか防いでいる。
先月からインフルエンザ予防に葛根湯を飲ませ始めたが、その意外な効果で激しい咳とタンが治まった。去年は医師処方の咳止めがほとんど効かず、カリン酒に頼っていた。それで、新たに1年分を漬け込んだのだが、この様子では不要になりそうだ。
目的のインフルエンザ予防は1日3包を、1日1回半包飲むだけで気配もない。先日、ちょっと風邪声のこともあったが、2包飲ませたら直ぐに治まった。私も風邪予防に1日半包飲んでいるが、鼻水すら出ない。なぜ、これほどに効くのか不思議になる。
最近、心に響いた言葉。
"脚力尽くる時、山更に好し"
先日のNHK日曜深夜の、"カンゴロンゴ「“下流志向”の君へ」"で取り上げられた宋の文人・蘇軾(1036-1101)の「玲瓏山(れいろうざん)に登る」の1文。
山の美しさを描写したあと、「脚力尽時山更好、莫将有限趁無窮。」脚力尽くる時、山更に好し。有限を将(も)って無窮を趁(お)うこと莫(なか)れと続く。
怠惰な人の目にはつまらない人生でも、限界まで頑張った人には、人生の素晴らしさが見えて来る、と言った意味。
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