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2009年3月 8日 (日)

「上海バンスキング」を見た。09年3月8日

昨日の好天と打って変わり、冷たい曇り空の散歩。今にも降りそうなので、雨具を持参した。
いつもなら、こんな日の自然公園は閑散としている。しかし、区民防火意識高揚イベントの会場になっていて、近隣の消防団員で大混雑だった。

管理棟で母にトイレを使わせた後、休んでお茶にしていると、旧知の消防団員が次々と声をかけて来た。36年間、赤羽に住んでいるので知り合いは多い。旧居の頃の近所の人もいて、母は亡くなった人のことを懐かしそうに話していた。

母ほどに歳を重ねると、話題は死んだ人やペットたちのことばかりだ。おそらく、母の記憶にある人の99%は今はいない。母ほどではないが、私も多くの知人を亡くした。知人を亡くすのは過去を失うことだ。中でも、母親の死は一番大きな過去の喪失になるだろう。

金曜、日テレ映画「幸せのちから」とテレ朝深夜映画「上海バンスキング」を録画し土曜に見た。
前者は、子供を抱え、極貧の中ひたむきに幸せを求め、証券マンとして成功を掴んだアメリカの中年男性の実話とあった。主人公の黒人男性はひたむきに努力し成功したが、今見ると結局は金融破綻に手を貸した一人で、すなおにハッピーエンドには思えなかった。

対して、後者の25年前の深作欣二監督「上海バンスキング」はとても良かった。
勘違いでなければ、舞台版の方は教育テレビの深夜で放映していた気がする。
ダンサー役、松坂慶子と志穂美悦子はまだスリムで実に美しく芸達者だ。男性陣の風間杜夫、宇崎竜童、平田満たちもとてもいい味を出していた。物語は昭和11年の日中戦争前夜から敗戦まで。名作「仁義無き戦い」シリーズの監督だけに、アクションは実にテンポが良く活気があった。それでいて、ドラマは陰影深く心に残る。

男達が次々と死に行き、一人だけになった松坂慶子が華やかな時代を幻想するシーンで終わった。同監督の「蒲田行進曲」も同じような配役で、最後は同じように幻想シーンで終わったが、それを踏襲したようだ。登場人物が次々と去って行くドラマは身につまされる。見終わった後、ズーンと重いものが心に残った。

しかし、満州で暮らしたことがある母には懐かしい映画だ。見終わった後、母は大陸の思い出を次々と話し始めた。
・・・母は朝鮮半島経由の鉄路で帰国した。当時、満州と朝鮮の間の鴨緑江が満日国境になっていて、鉄橋を渡る時に税関審査がある。母は土産に買った宝石類をどうしたらよいか、同じボックスの中年男性に聞いた。
「どこか、適当に隠しておけば大丈夫です。」と、言われ、母はバックの奥に隠した。
やって来た税関係官は同席の男性に敬礼した。
「こちらは大丈夫です。」と男性が言うと、係官は母の手荷物は何も調べず去った。
後で、男性が満州国政府税関の高官だと分かり、馬鹿なことを聞いたのが、とても恥ずかしかった、と母は楽しそうに話した。一般には、満州は日本と同じと思われているが、満州国政府は国際的に独立した国家だと示すため、あえて、税関検査を生真面目にやっていたようだ。

母は京城で下車し、祖母への土産に丹頂鶴の味噌漬けを買って、玄界灘を渡って帰国した。今は絶滅危惧種になっているが、当時は土産にするほど無数にいたようだ。

NikoKomin上、昨日、通路から撮った日光連山。左は雪の男体山。

下、今日の古民家。外は賑やかだが、中は静かだった。

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