我が家が普通ではないと知ったのは、社会に出てからだ。09年6月27日
9時過ぎ、母のブザーで呼ばれた。
「たもとに入れておいた銀貨をベットに落したから、探してくれんの。」
母は久留米弁で言った。睡眠導入剤のレンドルミンの影響で、混乱が起きているようだ。
「寝間着に銀貨を入れておく訳がないだろう。」
否定すると、「いつもたもとに、銀貨を入れてある。」と、母はむきになった。
どうやら、90年近い昔の、大正時代の記憶が交錯しているようだ。しばらく噛み合ないやり取りを続けて、仕事部屋へ戻った。
後で様子を見に行くと、母は眠っていた。
母が落したと言ったのは50銭銀貨のことだ。
母の祖父甚平は、母が小遣いをねだると財布のまま渡す人だった。
「ほら、1銭貰っといた。」
1銭銅貨と大きさが似た50銭銀貨を母が見せると、「そうか、そうか。」と、甚平は疑わずに笑っていた。信頼されると、却って罪の意識が生じる。母は時折、余った小遣いで酒好きの甚平へ酒を買って帰り、罪滅ぼしをした。
甚平は85歳で死ぬまで頑健で、頭もしっかりしていた。母が銀貨を選ぶのを知っても、子供を疑わないのが彼流の教育だ。おかげで母は真っ正直に育ち、思いやりを身につけた。養女だった母と甚平に血の繋がりはない。しかし今も、母は甚平を深く敬愛している。
甚平は謎の多い人だ。実家は久留米近郊の造り酒屋らしいが、絶縁状態で交流はなかった。
若い頃は血の気が多く、それで実家と軋轢を起こしたようだ。西南の役では一旗上げようと西郷軍に従い、城山に最後まで立てこもった。しかし、上司に諭されて命からがら久留米へ逃げ帰って来た。甚平は酒造りの名人で、久留米では普通の杜氏の数倍の高給を稼いでいた。
甚平は料理と釣りが好きだった。母は彼から魚の捌き方と料理全般を、養父健太郎からは人形作りなどの手芸を学んだ。甚平も健太郎も見るからに逞しい男で、その落差が面白い。
対して、私から見て祖母、母の養母千代は、士族出の母親を持ちながら料理も裁縫もまったくできない破天荒な明治女だった。そのような特異な家庭で育った母は、私が世間と違う生き方をしても、料理や手芸を好んでも、抵抗がなかった。
写真は大正12年10歳の母。夏の流行服を着て一人で写真屋へ行き、小遣いで撮影してもらった。日傘を持つポーズは母が自分で決めたようだ。この2ヶ月後に東京では関東大震災が起きた。
養父健太郎も謎が多い。手芸やもの作り好きが高じ、芝居小屋のしがない道具方をしていた。しかし、二枚目の彼は各所に女を作り祖母を困らせた。その辺りは「崖の上の家。吉原、遊郭。2002年8月2日」に書いた。健太郎は腕っ節が強く、九州の侠客や博徒との付き合いが深かった。母は話さないが、ただの道具方ではなかったようだ。
甚平の娘婿健太郎に対する感情は複雑だった。二人は同じ飲み屋でよく飲んでいたが、二人が言葉を交わすのを母は見たことがない。甚平に付いて来た母は、二人の間を行き来して、大好物のイイダコの頭を二人からせしめていた。
子供の頃の母は親の顔の広さで、久留米一円の芝居小屋も料理屋もフリーパスで出入りできた。
母が小学校に入学して直ぐの昼食時、職員室で電話を借りて洋食屋に出前を頼んだ。教師は慌てて注文を取り消し、「明日からお母さんに弁当を作ってもらいなさい。」と母を優しく諭した。どうやら、甚平も健太郎も千代も、「お昼は出前を取りなさい。」と、母を小学校へ送り出したようだ。
そのような母に育てられ、私の感覚は世間とかなりずれてしまった。我が家が普通ではないと知ったのは、彫金家に弟子入りし他人の飯を食べてからだ。と言っても苦労した訳ではない。遅刻は平気。好きな時に休む。奥さんの作る料理にはケチをつける。前代未聞のとんでもない弟子だった。
上写真、緑道公園。
下写真、赤羽台団地隣の公務員宿舎。見かけ以上に金をかけた作りだ。
日射しは強いが湿度は低く、私には爽やかだった。
しかし、8月に96歳になる母には日射しが強すぎる。
今年始めて、母のシャツやズボンや帽子に霧吹きをかけた。風に気化熱を奪われ、母はとても涼しいと喜んでいた。この霧吹きのおかげで、去年の猛暑も散歩を休まず乗り越えられた。霧吹きはアイロン用の大型を使っている。去年の40度近い猛暑の日は散歩中、3度水を補給した。
赤羽自然観察公園から赤羽駅前に出て靴屋に寄った。
今回は意を決し、衝撃吸収の良い1万円を越すジョギング用を買った。足慣らしにはいて帰ると、古い運動靴と比べ嘘のように足が軽い。靴の重さは殆ど同じなので、はき心地の良さは構造の違いによるものだ。踵を痛めたのは、古い靴をはき始めてからだった。2ヶ月ではきつぶす靴に1万かけるのは辛いが、足を痛めるリスクを思うと仕方がない。老いは金がかかるものだ。
帰宅して、古い方の靴底を見ると、左右の擦り減り方が著しく違っていた。それをはき続けていると更に足を痛める。今度は、左右均等になるように歩き方を工夫することにした。
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