盆提灯を灯すと、死んだ者を思い出す。09年7月10日
赤羽自然観察公園で、シオカラトンボが母の帽子にとまった。
「あら、裕子が訪ねてくれたの。」
母はトンボに、去年10月に死んだ姉の名で話しかけた。
今年は姉の新盆である。
早めに飾ってくれとの母の頼みで、先週からベット脇に盆提灯を飾った。深夜、母の様子を見に行くと、秋草の描かれた絹張りに灯りが淡く滲んでいるのが美しい。盆提灯は祖母が死んだ34年前に買った。それから、父、兄と精霊を迎えて来た。
「盆提灯はいいね。」
昼食後、ベットに横になった母がつぶやいた。
静かに横になって盆提灯を眺めている母を見ると、姉たちのところへ行くのは近いように思える。
今年の母はとても元気で、このまま100まで生きそうな気がしていた。
去年の今頃は咳がひどく、肺に水が溜まり苦しさで笑顔が消えた。酸素飽和度は90%を切り、夏を越すのは無理と思っていたが、何とか乗り越えてくれた。
秋、夏の疲れが出て更に弱ったが、風邪予防に飲ませた葛根湯が奇跡的に効いて、胸水が消え元気になった。しかし、老いは生やさしいくはなく、変化はいつも突然にやってくる。最近はベットから起き上がるのも一人では大変で、私を呼ぶ。深夜母の咳き込みで目覚め、様子を見に行くことも増えた。
昼食後、午睡を取った。
7年前に母が腰痛で倒れてから、平均睡眠は5時間を切っている。それでも体力を維持できているのは午睡のおかげだ。
30分ほどの間に夢を見た。夢の中で、34年前に死んだ繁兄が疲れた顔で佇んでいた。
「元気だった。」と聞くと、兄は浮かない顔でうなづいた。それから、色々やり取りしたが、目覚めると殆ど忘れてしまった。兄を思い出したのは、盆提灯を飾ったからかもしれない。
我が家は複雑で、兄は祖母千代宅で大変に甘やかされて育った。終戦直後の食べ物が不自由な時代でも、兄は私たちの口に入らない贅沢なお菓子や缶詰を、不味そうに食べていた。
私は食欲旺盛で、兄が納豆を食べる時、藁に残った豆を食べた。兄が牛乳を飲む時、牛乳の蓋についたクリームを舐めた。兄が食べずに残した、乾いて堅くなったチーズも喜んで食べていた。
今、そのことを母に話すと、とても嫌がる。
「繁は甘やかされて早死にしたけど、
マーは何でも食べていたおかげで、元気に長生している。」と反論する。
祖母が甘やかせたのは、兄には重度の紫斑病があり、長生き出来ないと医師に言われていたからだ。
紫斑病とは血液が血管から漏れ出て紫斑ができる病気だ。母にも私にも軽い素質があり、知らないうちに腕や足に紫斑ができていることがある。
紫斑病には、アレルギー性と自己免疫疾患によって突発的に血小板が減少する2種がある。兄は血小板減少によるものだ。長兄は5,6歳から何度も重篤な発作が起きて、歯茎や内蔵から大量に出血した。しかし、20代の大発作を最後に劇的に治まった。最後の発作は漁師町の大堂津時代で、兄は頑健な漁師たちから大量の輸血をしてもらった。その後、兄の体質は変わり、紫斑病は嘘のように治まってしまった。
兄は九大の仏文をマージャンと酒に溺れて中退した。しかし、結婚を期に意を決し、通信教育で教員資格を取って都城の中学校に赴任した。
昭和48年、28歳の私は漁師の知人が世話していた祖母の今後のことで、都城の兄夫婦を訪ねた。気の弱い兄はどうして良いか分からず、困った顔でウイスキーをあおっていた。30分ほどの間にサントリー角ビンが空になり、更に新しいビンを開けようとしたので止めた。
私は祖母を兄夫婦に任せるのは無理と判断し、東京へ引き取って母と介護した。
2年後の5月に祖母は死に、母と兄は遺骨を持って九州へ向かった。兄を見たのはそれが最後だ。その年の秋、兄は中学の運動会準備中に脳溢血で急死した。43歳の厄年だった。脳溢血は紫斑病に伴うことが多いが、兄の場合はストレスと過度の飲酒が原因だと思っている。
住まいの外装工事は一段落した。
足場の取れた別棟から久しぶりに空を眺めた。
雲間の清澄な青空が心に染み入る。
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