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2009年7月15日 (水)

物理学者戸塚洋二氏の死。苦悩に対し、優秀な頭脳は役に立たず、逆に増大させる。09年7月15日

猛烈な暑さで、帰宅するとすぐにシャワーを浴びた。
さっぱりして、後片付けを始めると携帯がない。電話をかけてみると、洗濯済みの下着を積んでおいたカゴの中でピーピー鳴っている。カゴの中では、いくら探しても見つからないはずだ。
この機能がリモコンに付いていたら助かる。最近のテレビはリモコンなしでは操作できない。先程も、若者向けの騒々しい音楽番組を替えたいのに、リモコンが見つからずイライラした。

先日の徹夜仕事の疲れが残っている。しかし、昨日今日と母に2時間早く起こされてしまった。文句を言うと、時計を見誤ったと母は言い訳した。1度2度なら見誤りだが、今年に入ってから週2,3回のペースで繰り返している。近く、母の目覚まし時計に「起こすな。」と大書しようと思っている。

そのように、惚けながら死へ近づいて行く95歳の母は幸せかもしれない。昨夜、NHKヒューマン・ドキュメンタリー「物理学者・戸塚洋二・がんを見つめる」を、寝転んで見ながらそう思った。

物理学者の戸塚洋二氏は世界で始めてニュートリノに質量があることを見つけた。これは大変な発見で、そうだとすると宇宙の未来図は大きく変わる。従来は宇宙は際限なく膨張すると考えられていた。しかし、ニュートリノに質量があれば限りなくゼロへ収縮することになる。

宇宙の総てが1点に収束して消えてなくなるとは底なしに空虚だ。番組では仏教の無の思想と対比させて語っていたが、古代思想と最先端の科学が一致するとは興味深い。

彼は大腸がんが転移して、去年66歳で死んだ。もし、数年長生きしていたら、間違いなくノーベル物理学賞を受賞していた。

番組では自分のガンの変化を科学者の目で考証し、記録する姿を丹念に追っていた。周囲はその冷静な姿勢に救いを見いだそうとしていたが、死を克己するにはほど遠く見えた。あれ程の優秀な頭脳でも、死を受け入れるのは難しい。その一方、ポンコツ脳の母は悩むことなく死と仲良くしている。どうやら、優秀な脳はかえって苦悩を増大させるようだ。

昔と比べ、現代人は死への心構えが衰退してしまった。万人が一番気にしているのに、科学の進歩は何一つ解決策を示していない。戸塚洋二氏は家族の行き届いた介護に恵まれ死期を伸ばせたが、苦しみは長引いてしまった。そこに現代社会の抱える大きな誤解を感じる。昔は死は受け入れるものとして捉えていたが、現代は違う。最期の最期まで戦うものとされ、その呪縛に現代人は苦しめられている。しかし、人生の最期に最大の苦痛に晒されなければならない理由はどこにもない。そのことに誰もが疑念を抱いているが口にしない。

しかし、近未来は違う。薬物や心理療法によって、生存本能を温存したまま死の恐怖を取り除いてくれる。たとえば、ライオンの餌食になった瀕死のシマウマの瞳に恍惚の光を感じることがある。大脳生理学者は、シマウマ脳内に脳内麻薬のエンドルフィンが大量に放出され、苦痛や死の恐怖から解放され、多幸感に満たされているから、と説明する。

それを私は身近に経験している。10年前、母は無能な麻酔医のせいで一瞬心臓が止まり臨死体験をした。生還した母は、その時、視野に美しい光が乱舞し、穏やかで満ち足りた気持ちになった、と話していた。多分、母の脳内に死への生理反応としてエンドルフィンが放出されたのだろう。

昨日の散歩帰り、赤羽台団地を通るとホウセンカが満開だった。母が摘んでくれと言うので、目立たない場所の花を5,6輪摘んだ。
昨夜、寝る前の母に頼まれ、少量の明礬と花弁を練って母の小指に置きラップで包んで絆創膏で止めた。今朝見ると濃いオレンジ色に美しく染まっている。この色は堅牢で爪が伸び切るまで落ちない。花の色は濃度色合いに関係なく染まる。母は毎年、会う人ごとに指を見せて自慢する。皮膚をマスキングして爪だけ染めるととても美しく仕上がる。しかし、母は指ごと染まっているのでヨードチンキをつけたように見えるだけだ。

これは朝鮮半島の風習で、ホウセンカと一緒に日本へ伝わった。母が子供の頃は、乾燥しないように朝顔の葉で指を包んで糸で縛っていた。久留米生まれの母はホウセンカのことをツマグレと呼ぶ。指先を染める意味だろう。

5月から始まった住まいの外装工事がやっと終わった。外観は新築のように見える。「せいせいした。」と住人たちの表情が明るくなった。
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