« 悪運の強さで、命が助かり危機を乗り越えた。09年7月2日 | トップページ | 昔、ホームレスは乞食と浮浪者を区別していた。09年7月6日 »

2009年7月 4日 (土)

手芸をしていた頃の母は、元気で惚けもなかった。09年7月4日

赤羽自然観察公園古民家で生け垣の竹を切っていた。生け垣は、北区内の保育所や小学校からの要望で、七夕用に伸び放題にしてあった。
帰りがけ、余った竹を貰ったので、色紙を切って部屋に飾った。七夕飾りを作るのは子供の頃以来だ。伝統行事をすると、しみじみと時の流れを感じる。伝統行事が生き残っているのは、そのような安らぎがあるからだろう。

毎週、土曜日は姉が訪ねて来て玄関を開けて待っている。いつもなら、母をベットまで連れて行き、着替えさせるが、姉が代わってくれるので、とても楽だ。ベットで一休みした母は姉を手伝わせ、「お雪さん。」を浴衣に着替えさせた。

Yuki_2お雪さんは30年前に作った人形の名前だ。

母はボロ切れを固く縛って紙粘土を貼付け、人形作りを始めた。しかし、器量が悪く見るに耐えない。それで私が手直しし、仕上げてしまった。

始めに乾いた紙粘土の上に膠で溶いた地塗り胡粉を塗り重ねて目鼻立ちを整える。それを木賊(トクサ)で磨き、仕上げ胡粉を塗る。最後にムクの葉で磨くと、きめ細やかな肌に仕上がった。

木賊は目詰まりしにくくて使いやすいが、入手が難しいので、途中からサンドベーバーに替えた。ムクの葉は隣家が庭木を剪定した時に分けてもらい、大量に陰干してあった。ムクは都内に多く、入手は難しくない。秋には濃紫の実が熟し、羊羹のような食感で甘く香り高く美味しい。

木賊は観賞用に庭に植えられている。もし、見つけたら分けてもらい、陰干ししておけばいつまでも使える。昔の下駄屋は木賊で桐下駄の仕上げをしていた。私は知り合いの下駄職人から分けてもらっていたが、次第に入手困難になった。今はインターネットで、昔より入手は簡単なようだ。

木賊もムクの葉も、表面に細かい珪酸質の突起がありサンドペーパーの働きをする。これで爪を磨くと艶やかに仕上がる。
経験はないが、干したカワハギの皮はムクの葉よりきめ細かく仕上がるらしい。魚屋で捌いてもらった時、持ち帰り干しておけば使えそうだ。
「お雪さん」の髪の毛は、しなやかさと重みが自然に見えるように絹の穴糸を使った。胴体と手足は桐を削って胡粉を塗り精緻に仕上げた。

人形作りは妖しい世界だった。ものではなく生き物を作っている感覚だ。お雪さんを最初で最後に、二度と作らないことにした。

しかし、母は人形作りに熱中し、住まい中人形だらけにしてしまった。それらの人形は今の住まいに置ききれないので、引っ越す時に私が庭で焼いた。芯材が燃え落ち、焼け残った胡粉の殻が子供の頭蓋骨のように見えて心が痛んだ。

父の仕事が失敗続きで、働き詰めだった母は、手芸をして余生を過ごすのが夢だった。私と暮らすようになってから夢が実現し、仏像作りにビーズ細工バックと、手当り次第に手芸に熱中した。
母の手芸に細やかさはない。総て独学で大雑把に大きなものを大量に作る。得意だったのは編み物で、かぎ針1本で様々な縫いぐるみから2メートル四方の絨毯まで、思いつきで何でも編んだ。絨毯の1枚は公募展で大賞を取っている。

最後に熱中したのはビーズ細工の腕輪だ。しかし、2006年秋に急性胃潰瘍で緊急入院してから気力が萎え、ビーズ細工を止めた。以来、母は急速に体力が落ちて行った。指先を使う人は元気な人が多い。母を見ていて、止めた反動の大きさを身を以て実感した。
毎日、母は兄へ葉書を書いている。今より惚けないために、それだけは頑張って続けてほしいと思っている。

電通の仕事はようやく本番に入った。途中、混乱したが、結果的に順調に進行している。確実に入金してもらえる仕事は楽しい。仕事イコール収入、といかないのが現実だ。今まで出版の仕事で幾度となく損失させられた。
この仕事を終えたら、装丁絵の仕事が一つ残っているだけ。この不況では絵が売れる見込みはない。しかし、長年、不安定な生活を続けて来たので、何とかなると思っている。

|

« 悪運の強さで、命が助かり危機を乗り越えた。09年7月2日 | トップページ | 昔、ホームレスは乞食と浮浪者を区別していた。09年7月6日 »