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2009年8月10日 (月)

大雨でも母を散歩に連れ出す。09年8月10日

昨日夕刻、赤羽周辺に1時間100ミリの集中豪雨。
玄関を開くと、大粒の雨が通路手摺を打つ音がカンカンと銃撃のように聞こえた。雨を避けながら対岸を眺めると、地上は雨に霞み建物の輪郭がかろうじて分かる程度だ。眼下の新河岸川は水かさが増し、打つ雨に濛々と水煙を立てている。この激しい自然の姿には、いつも畏敬の念を覚える。

夜のニュースで、雨水が溢れた赤羽駅周辺の映像が流れた。
駅前の商業ビルでは、積んだ土嚢を雨水が乗り越えガラス扉を割って流れ込み軽症者が出たようだ。あの辺りは土地が低く、集中豪雨のたびに浸水する。

今朝も昨日に劣らない豪雨だった。それでも、散歩は休まないことにした。
ベットの母に、「さあ起きよう。」と、声をかけたが、気怠そうで返事をしない。この2ヶ月、思いつく限り回復を計って来たが、老いに対しては打つ手がなかった。更に今は老人性欝が加わり、母は殆ど喋らなくなった。
母自身も自分のことがよく分かっていて、何とか老いを受け入れようとしている。だからこそ散歩に連れ出し、一瞬でも生きている楽しさを母に感じさせようと思った。生きている喜びが、現実を受け入れる力に繋がると信じている。

去年の今頃、母は肺に水が溜まり、酸素飽和度85%近くまで下がっていた。それでも今より元気で、朝は私より早く一人で起きていた。今年の春あたりまでは、インフルエンザ予防に飲ませていた葛根湯の思わぬ効果で肺の水が取れ、更に元気になっていた。そんな数ヶ月前の母を思い出すと、喪失感にとらわれる。

朝食後、「雨がひどいから。」と母は散歩を渋った。
「雨に打たれると、気持ち良いよ。」と誘うと、母は少し笑顔になった。以前から母は、雨具に当たる雨粒がマッサージされているようだと、大雨の散歩を好んでいた。

出かけるとすぐに雨は小降りになった。東京北社会保険病院下の公園では、斜面の腐葉土が歩道に流され縞模様を作っていた。風も強かったようで小枝が無数に落ちていた。

Sakura

緑道公園では土手の桜が倒れていた。土手上に宅地を造成した時、業者が桜の根の半分を切った。それに加え、夜来の豪雨で地盤が緩み、自重を支えきれなくなったのだろう。今年も見事な桜を咲かせていたのに、残念でならない。倒れても葉をしっかりと空へ広げる生命力を残しているのに、切り刻まれゴミにされると思うと痛ましかった。

赤羽自然観察公園に着く頃、母はいつものように元気になった。母も私も、どんなに辛いことがあっても、公園の自然を歩いていると楽しく元気になる。
雨はすっかり止んだ。管理棟裏の桜並木を母はソロソロと歩き、いつもの半分の長さで、「疲れた。」と止めた。それでも、歩けるだけ良い。数メートルも歩けなくなると、介護の苦労は大変になる。だから1日でも長く、この歩行距離を維持しようと思っている。

帰り道、母は何かブツブツ喋っていた。
「何言ってるんだ。」と聞くと、「"一人っ子 何を喋っても 一人言"」と作ったばかりの下手な句を聞かせた。それから、大正時代の子供の頃の思い出を話した。何度も聞かされている話しだが、相づちをうちながら聞いた。同じ思い出でも話してくれるだけ良い。更に弱れば、何も話さなくなる。

今朝の豪雨。

Gouu_2

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