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2009年8月24日 (月)

昭和20年代の夏休み、子供たちは毎日、目一杯、遊んで過ごした。09年8月24日

Kagura_2土日と御諏訪神社の夏祭り。散歩途中、お参りすると境内に2軒の露店が出ていた。他に参拝客はいない。
暑い中、神楽殿では演者は衣装と面をつけて黙々と舞っていた。観客がいなくても、神に捧げる神楽舞に手抜きはない。生の神楽囃子が心に染み入る。階段下で待っていた母も、神楽囃子を懐かしく聞き入っていた。

母は道々、日南市大堂津の遠い思い出を話した。
大堂津には三島神社と秋葉神社、二つがあった。三島神社は大きく、脇の宮司の家には大きなムクロジュの木があった。ムクロジュの実の皮はサポニンを含みよく泡立つので、年寄りたちは石鹸代わりに使っていた。黒い種は羽子板の羽根の頭に使った。

夏祭りの間は社殿で氏子たちが神楽を舞った。古い面をかぶり、衣装をつけて単調な踊りを延々と続けた。子供たちはドラマチックな変化を期待していたが、いつまでも退屈な舞いが続くだけで、すぐに飽きた。今思うと、あれは人相手でなく、神に捧げる舞いだったので長時間続けられたようだ。

三島神社の裏山にはテニスコートほどの草原があった。草原では数年に一度、しめ縄を張って神楽が舞われた。母はその草原が好きで、よくゴザを持って昼寝に出かけていた。草原からは太平洋と七ツバエ(七つの岩礁)と大島が一望できた。山裾には黒光りする屋根瓦と、軒の低い町並みが広がっていた。

母が草原が好きだったのは、当時、父が事業に失敗し、家に借金取りが押し掛けていたからだ。私は小学校から帰ると、お小遣いを貰いに草原まで駆け上っていた。借金取りと書いたが、私に暗い記憶はない。親の借金と子供は別と考える土地柄で、親のことで厭な思いをしたことはまったくなかった。それは漁師町の特性かもしれない。漁師は博打的で浮き沈みが激しく、住民に明日は我が身の思いがあったからだろう。

もう一つの秋葉神社は小さな社で、地区全体で管理していた。
夏休みの間、地区の子供たちは毎朝、境内の清掃をした。すぐに掃除は終わるので、後は竹箒でチャンバラをして遊んだ。それから帰って、水着に着替え、浜に出かけてお昼まで遊んだ。昼食の後は、山へ出かけたり、駆けっこをしたり、ビー玉遊びをしたりして遊んだ。夕食の後は、港に夜釣りに出かけたりした。夏はアジがよく釣れ、時にはバケツ一杯釣って帰ることもあった。当たりを待ちながら、岸壁の冷たいコンクリートに寝転び、星座を眺めるのも楽しかった。当時の子供たちは早寝早起きだったので、夜釣りは眠く、そのまま眠り込むこともあった。

秋葉神社、夏の夜祭は楽しかった。地区の家々は通りに面した縁側や部屋に細工物を飾って競った。母はカボチャを削って、人形の手足を作り着物を着せ、四谷怪談などの芝居の場面を作った。蚊帳を広げて沼に見立て、木や竹を立ててオドロオドロしい場面にした。電気スタンドに色セロファンを貼り、青や赤の照明をあてると本当に怖かった。祭りが終わると、カボチャの顔や手足は煮付けにした。私たちは手足の形のカボチャを面白がって食べた。

遊んでばかりいる内に夏休みはすぐに終わった。日記も夏休み帳もまったく手をつけていなかったので、最後の二日間で書き上げた。その性癖は今も続いていて、仕事は納期ギリギリまで手をつけない。

Haha1_2Haha2土曜日、赤羽自然観察公園に先生に引率されて小学生たちが来ていた。
「木登りはいけません。先生から見えない場所へは行かないで下さい。」
子供たちは細々と注意されていた。この公園は小学生たちの野外教育の場になっているが、どの先生も同じような注意をする。このようにひ弱に育てられては、日本の未来を背負う大人は育ちそうにない。
先生が神経質になるのは、子供が怪我をしたら親から訴えられるからだ。私たちの頃は、子供がひどい骨折や怪我をしても、親が騒ぎ立てることはなかった。当時の親たちは、男の子は怪我するくらい元気でなければダメだ、と考えていた。

8月24日、
なんとか無事に母は96歳の誕生日を迎えられた。気温は高いが湿度が低く心地良かった。散歩道の桜は紅葉が始まり、枯葉が舞い、すでに秋の気配だった。

誕生日のお決まりで、赤羽自然観察公園のトウネズミモチ脇で母の写真を撮った。母を始めて連れて来た7年前は、トウネズミモチは手摺と同じ高さだった。
「よしよし、早く大きくなりなさいね。」
母は毎日頭を撫でて可愛がっていた。今日も母は幹を撫でていた。

Seiri_2誕生祝いに孫や知人たちから花束が届いた。
午後、私と母が親しくしているSさんがお祝いに来た。
我が家は衣類が至る所散らかっている。どれも洗濯済みで汚れ物はまったくない。たたむのはストレスになるのでしない。母も私も散らかっていても気にしないが、父に似た姉は整理整頓されていないとダメだ。姉は週一回、散歩中に来て衣類を片付けてしまう。整理されてしまうと、場所が分からなくなってとても困る。

散らかった部屋は意外に居心地が良い。Sさんは長い時間くつろいで、楽しそうに帰って行った。

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