老いた母の望みは、毎夜、静かに寝入ることだ。09年9月11日
日射しは強いが、乾いた爽やかな風。東京北社会保険病院下の木陰で休むと、母は気持ち良くウトウトし始めた。このまま逝けば最高の死に方だ。日頃、「車椅子の上で死ねたら幸せだろう。」と母に言っているが、冗談ではなく本気でそう思っている。
母の死を考えながら、同時に自分の最期も考えている。
私の場合、孤独死の可能性は大だ。一人で死ぬのは仕方がないとしても、死後、かなりの日数を経て発見されては世間に迷惑をかける。だから、母が逝った後、一人暮らしになったら、元気か病んでいないか、毎日、メールで若い近親者に確認してもらうことにしている。
先日も記入したが、時間が刻々と過ぎて行くのは物理学の世界では当たり前ではなかった。それについて、日本とカナダのチームが、量子レベルで時間が逆走する現象、存在確率マイナス1を実験で確かめた。その現象を予言した「アハラノフ・ボーム効果」によると、時間は遠い未来の宇宙の終末から現在へ逆に流れ、今の宇宙を形作っているようだ。
その記事を読んでから、宇宙は始めと最後が輪になって繋がった巨大な1本の映画フイルムみたいなものでは、と思い始めた。そもそも宇宙には時間の移変わりはなく、巨大な一本の映画フイルムのように、総ての歴史が同時に恒久的にある。そのフイルムの最初のコマがビックバンで、最後のコマが宇宙の終末。もし、宇宙の外からその長大なフイルムを眺めることができたら、無数の時間の流れが行ったり来たりしているのが見えるはずだ。
その中の一つの時間の流れに私たちがいて、あたかも歴史が進行しているように感じている。もし、自在に時間の流れを選ぶことができるなら、枯れた花が生き返り、莟になって新芽になって種に逆行するように、巨大な小説を逆読みするように、フイルム上の自分の人生を逆行したり早く進んだりできる。但し、時間を遡っても昔の自分に戻るだけのこと。意識を維持したまま遡るのは不可能なので、SFに登場するようなタイムマシーンは難しい。
人の一生は始めから決まっているとする運命論は、極めて科学的かもしれない。そんなことを考えていると、寝ていた母がブザーで呼んだ。蛍光灯の豆電球だけでは暗過ぎると言う。最近、母は死への恐怖があるのか、暗いのを嫌がる。寝室の蛍光灯は程よい明るさに調整できないので、隣室の灯りを点けた。
物理の理論と比べると、人生は実に単純だ。人の興味は、美味いものを食って、魅力的な伴侶を得て、快適に暮らして、苦しまずに死ぬことだけだ。しかし、年を経るにつれ、前半の要求は難しくなり、苦しまずに死ぬことだけが望みの大半を占めるようになる。だからか、人は老いると第三の生き方を模索し始める。それは宗教であったり、社会への貢献であったり、自然崇拝であったり、行き着く先は昔から殆ど同じだ。
人は人工物だけでは穏やかに生きられない。
木陰での午睡や自然の中の散歩は、老年では大切なものになる。
今年の秋は早い。
赤羽自然観察公園の湧水の流れ脇に彼岸花が咲いた。
紫式部の実も色づいた。
山ブドウも紫に熟し始めた。
11月過ぎ、霜が降りるような寒気がやって来ると、山ブドウは甘くなる。
午後10時、母は更にブザーで呼んだ。今度は咳が止まらず苦しいと訴える。医師に処方してもらった薬よりカリン酒が効くので、水で薄めて飲ませた。
高齢者の終末期の望みはささやかだ。
それは、さほど苦しまずに今夜寝入ることだ。
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