ゴーギャンの絶望と希望学。09年9月15日
午後の薄暗い部屋で、ふいに、始めて一人暮らしを始めた45年前の十条の木賃アパートを思い出した。引っ越した日は肌寒い早春。夕日が沈み薄暗くなった四畳半に裸電球を点けると気持ちまで暖かくなった。
高度成長期の街の騒音とけばけばしい色の洪水。休日の遊びに出る時の高揚感。次々と蘇り懐かしくなった。
引っ越す前まで、十条の彫金師の元に住み込み修行していた。
住み込みは息苦しく、1年後、近くにアパートを借りた。家具はなく、引っ越しはリヤカー1台で間に合った。真っ先に、当時発売されたばかりの一人用赤外線炬燵を4千円で買った。
敷き布団の上に置き掛け布団をかけて潜り込むと幸せで一杯になった。当時の私は希望に満ちていて、爆発しそうなくらい元気で、未来への不安などまったくなかった。
NHKクローズアップ現代「“希望”を科学する」で希望学が流行っていると言っていた。今の若者たちは深刻なまでに希望を持てないらしい。社会に活気がないからだけではない。若者たちが求める夢の水準が高すぎるからだ。
昔の若者はテレビや電話を持つなど夢であった。海外旅行は特権階級の世界だった。
しかし、それらの夢や希望は今の若者には粗末過ぎる。
昔に戻り貧しくなれば希望の水準は低くなる。たとえば、最前線の兵士や末期がん患者なら、生きているだけで幸せを感じる。飢餓状態なら食べ物があるだけで十分だ。しかし、希望の為にわざわざ戦場へ出かけたり、貧しくなることはできない。
しかし、今も昔も、希望のために敢えて貧しさを選ぶ者がいる。
ゴーギャンは安定した生活を捨て、絵描きとして極貧の中で孤独死した。私自身43歳で豊かな生活を捨て、野垂れ死に覚悟で絵描きに転身した。
若者が希望を持てないのは余分なものを抱え込み過ぎ、本当の自分が見えないからかもしれない。
昨夜11時過ぎ、教育テレビでゴーギャンをやっていた。彼は南国の楽園で一生を終えたが、実際は牧歌的のどかさとはほど遠い壮絶な孤独死だった。
死の4年前、貧しさと病苦から彼は自殺を決意し、麻袋を繋ぎ合わせた粗末なキャンバスを作り、生涯最高の傑作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。」を遺書代わりに描いた。
完成の後、裏山へ登り大量のヒ素を飲んだが、多過ぎて嘔吐し未遂に終わった。それからも作品を残しているが、4年後に看取る者もなく55歳で病死した。
生前に作品は殆ど売れず、借金や知人からの援助で細々と暮らしていた。その点でも交友のあったゴッホと酷似している。
晩年を暮らしたタヒチに彼の作品は一つも残っていない。現地の商人たちに借金代わりに作品を渡したが、ゴミ同然に扱われ、焚き付けにされた作品もあった。現在も残っている作品は、幸運なほんの一部に過ぎない。
ゴーギャンは希望学の解決モデルになりそうにない。
絵描きが絵に熱中するのは本能に近く、絶望的な結末が分かっても突っ走る。それはもしかすると純化された究極の希望かもしれない。
希望のために誰でもできることは、まず自分の体力能力を認識する。それから遠い目標と、直ぐに実現可能な目標値を定め、一つ一つ達成して行く。そして、自分に嘘をつかず、人を馬鹿にせず、コツコツと続けていれば、実現の可否はともかく確実に希望は得られる。
赤羽自然観察公園でムクの実が熟した。直径10mmほどで甘くねっとりした食感。特有の香りがあって、とても美味しい。ムクは大木が多く、摘むのが難しいが、ここの木は程良く若くて、下枝の実を堪能することができた。
赤羽自然観察公園には野生のクルミも多い。立ち入り禁止区域には沢山落ちているが、柵があるので拾えない。母の杖や落ちていた木の枝を使い、柵の隙間から8個引き寄せた。クルミは木の切り株の上で石で割って母と食べた。原始人になった気分で、野生の力がみなぎる感じが楽しかった。
帰りには緑道公園のナツメを食べた。今年のナツメは例年になく、甘く熟した。リンゴを繊細にしたようなサクサクとした食感はとても美味しい。都内の散歩コースで自然を楽しめるとは実に恵まれている。
写真はまだ未熟なナツメ。未熟でも美味いが、紅茶色に熟すと更に美味い。
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