医師への信頼の功罪。09年9月21日
今朝午前3時、母にブザーで起こされた。飛び起きて行くと、トイレを使いたいが起き上がれないと言う。背中を起こして立たせ、隣室で終わるまで待った。それからベットに寝かせ、自室に戻ったが頭が冴えて二度寝できない。明け方に30分ほどウトウトしただけで起床した。
朝、母の起き抜けに、週1回服用の骨粗鬆症薬フォサマックを飲ませた。これはたっぷりの水で飲まなければならなず、胃が小さくなった母には辛いようだ。
「先は長くないし、もう、薬は飲まなくてもいいのじゃない。」
母は言ったが、「飲まないと、もっと辛くなる。」と聞き流した。最近の母は、1日の3分の2は寝ている。これは終末期の症状の一つだ。朝食までの時間も、テレビを点けたまま死んだように眠っていた。そのまま逝けば、最高の最期になるのだが、人生そうはうまくいかない。
起きてから、のどが痛く声を出すのが辛い。風邪の引き始めのようだ。午前中の母の赤羽自然観察公園行きは止め、駅前に出て薬草エキスのうがい薬を買った。
帰宅して、昼食準備前に一休みするとそのまま眠ってしまった。1時過ぎ、母に「昼食はまだ。」と、ブザーで起こされた。目覚ましにテレビを点けると、民族衣装のアジア系の女性が写っている。段々畑の傍らで、ご飯に野菜の漬け物と質素な食事中。女性は愁いを帯びた風情。髪を描き上げる仕草が初々しい。
「辛いけど、幸せです。」
女性はカメラを振り返って笑顔を見せた。白く綺麗な歯並びだ。番組の前後関係はよく分からないが、インド東北部ビルマ国境近くの辺境のようだ。解説では、長く外国人の立ち入りを禁止されていたが、8年に及ぶ交渉の末、やっと許された取材、と言っていた。
彼女が遠い山々を眺めているシーンで場面が変わった。彼女は下界の生活をまったく知らないが、村はずれに電柱が見えた。数年のうちに近代的な生活が容赦なく押し寄せ、彼女たちの暖かく素朴な生活は激変するだろう。新聞の番組欄には、東京テレビ“精霊の大地ナガランド”とあった。
「辛いけど、幸せです。」の言葉は心に残る。「日々是好日」を、これほど瑞々しく表現した言葉は知らない。生きていれば、老若貧富、あまねく様々な辛いことに出会う。現代人は、ともすると辛い部分だけに圧倒され、楽しいことや幸せなことが見えなくなる。豊かさは幸せへの感受性を鈍らせるもののようだ。
ネコの看護婦さん。
この書き込みに度々登場する大型犬の小次郎君が近所の病院に入院した。ネコの看護婦さんがいる近所の病院で、毎朝、母と中を覗いて通る。先日、いつものように覗くと、小次郎君がいたのでびっくりした。それで、その病院に転院したことを知った。
夏から、彼は吐き気食欲不振に体重減少が見られ、症状は悪化する一方だった。しかし、それまでかかっていた病院はすぐに治ると重大視しない。飼い主のKさんは不信感が募り、ネコの看護婦さんの病院に代えた。理由はそれだけでない。数年前、その病院は彼の緑内障初期症状を見逃し、両眼摘出するまで悪化させてしまった。それでセカンド・オピニオンとして上記病院の診察を受けると、副腎不全(アジソン病)が判明した。早く病院を代えていたら重症化する前に発見されたかもしれない、失明も防げたかもしれない、とKさんは自分を責めている。
彼女の気持ちはとてもよく分かる。私も、母の初期がんを姉に任せたために進行させてしまった。7年前、母は板橋の都立病院皮膚科で初期がんを発見されたが、1年間、漫然と抗がん剤軟膏塗布治療を続けた為に、進行させてしまった。もし、姉ではなく私が付き添っていたら、常に医師に厳しく説明を求め、少しでも不審を感じたら即セカンド・オピニオンを求めていた。
後日、母は駒込病院に転院し、皮膚がんは完治し、同時に発見された肝臓ガンも切除できた。
私とKさんに共通なのは担当医師と病院を全面的に信頼していたことだった。
患者や家族が医師に敬意と信頼を持つのは正しいが、任せ切るのは大変に危険なことだ。どんな名医でも間違いを犯す。おかしいと思ったら信頼関係は傍らに置いて、躊躇なくセカンド・オピニオンを求めるべきだった。
小次郎君は、ステロイド剤の点滴で急速に回復し無事退院した。先日、自宅に見舞うと、元気に外へ出て来て母におやつをねだっていた。しかし、ステロイド剤服用は一生続けなければならない。ワンコは保険がきかないので、大変な出費になりそうだ。
昔のことを思い出し、あの時、ああすればこうすれば良かった、と思う事は無数にある。しかし、その失策の積み重ねで今の自分があることも大変重要だ。仮に、一つも失策をしない人がいたとして、それが幸せかどうかは疑問だ。私の経験では、挫折や苦悩を知らない人は思いやりに欠け、豊かな心を持ち得ず魅力に欠ける人が多い。
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