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2009年9月23日 (水)

クレヨンしんちゃんが子供たちの未来にはたした役割は大きい。09年9月23日

Ringo荒船山でのクレヨンしんちゃん作者臼井儀人氏遭難以来、春日部の、あのポジティブな一家の未来が突然に奪われたような喪失感を覚える。出版社は作者の代りを立てて継続するだろうが、違和感が残りそうだ。

クレヨンしんちゃんは好きで、アニメ版を時々見ている。昔、通っていた歯科医院待合室にも全集が置いてあり、長時間待たされる間に全部読んでしまった。
しんちゃんの、めげないところ、スケベーなところ、私の子供時代に似ていて懐かしい。
話しは飛ぶが、NHK深夜「わたしが子どもだったころ」沢村一樹編の彼も、しんちゃんみたいにスケベーで、とても共感できた。世の母親はしんちゃんに眉をひそめるが、文明人から未開人、大芸術家から企業家から政治家まで、万国共通に元気な男の子は皆スケベーだった。

大人と子供のエロは少し違う。子供のエロは妄想の固まりで、大人の視線で見ると滑稽で可笑しい。しかし、あの妄想への強烈なエネルギーは決して無駄ではない。大人になればバイタリティーに形を変え、社会の活力になる。今の若者が植物的になって社会が衰退しているのは、リアルなものが簡単に手に入り、妄想が発達しなかったからかもしれない。その意味で、クレヨンしんちゃんが子供たちの未来にはたした役割は大きい。

先日、姉が来た日、母の車椅子が小さな事故を起こした。
住まい下の環八の歩道へ出た時、若者の自転車がやって来た。若者は気遣って端に自転車を止めた。私は急いで歩道の段差を押し上げようとしたが、車椅子の前車輪が段差に躓き母を地面に放り出してしまった。いつもなら安全ベルトをしているので、放り出すことは絶対にない。しかし、たまたま車椅子に乗せるのを姉に任せたため、点検を忘れてしまった。
母はスローモーション映像のように地面に落ちた。全身から血の気が引く思いだったが、幸いにも母はどこも打たず無傷だった。

車椅子は不完全な道具で、前車輪を持ち上げないと2センチの段差も乗り越えられない。その時は気が急いていて、持ち上げ方が足りなかった。車椅子が躓くことは数ヶ月に1度ほどあるが、安全ベルトのおかげで大事に至っていない。
母が怪我をしなかったのは、毎日、歩行リハビリをさせていて筋力があったからだ。母の両膝は人工関節で、執刀医師から絶対に転ばせないように厳命されている。もし、転んで膝を打つと、人工関節接合部の骨が割れ、母の歳では再手術が不可能だからだ。この事故以来、安全ベルト確認を怠らないようにしている。

Higanb

赤羽自然観察公園の彼岸花は盛りを過ぎた。夏の悪天候で米の作柄が心配されたが、8月後半の好天ですっかり持ち直した。今年の作柄は並と言ったところか。田圃は区内の小学校の管理で、児童たちが作った案山子が可愛い。オレンジ色の網はスズメ避け。稲作を始めてからしばらく、東京のスズメたちは米の美味しさを知らず寄り付きもしなかった。それが、3年前あたりから米の味を覚え、群がるようになった。

ようやく今日で連休が終わる。騒々しかった赤羽自然観察公園も、明日からいつもの静けさが戻る。今日は色づいた田圃の向こうの茂みでツクツクホーシが切れ切れに鳴いていた。柵にもたれ、聞き入っていると山深い田舎にいる気分になる。少し侘しくて、人恋しい思いだ。

一昨日の喉の痛みは、薬草カミツレチンキのうがいと葛根湯ですっかり治ってしまった。私が風邪を引くのは例年11月以降で、それより早くは経験がない。もしかすると、これは新型インフルエンザだったかもしれない。もしそうなら、これで予防注射の必要がないので助かるのだが。

母が昼食後、すぐにベットに横になると言うのを押しとどめ、テレビ前の椅子に腰かけさせた。最近の母は、ベットに長く横になっていると身体がふらつき、ガクリと弱る。横にさせていて元気になるなら、いくらでも寝かせておくが、それでは身体が弱る一方だ。
母には以前に増して細かく気を配っている。しかし、老いの進行はスピードを増したよう感じる。これだけは、どんな名医にも押しとどめようがない。

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