緑の早生ミカンと昼花火の音。09年10月13日
最近の母の弱り方は、散歩へ連れ出せるのは今日が最後では、と思うほどだ。しかし、下がる一方の下降線もようやく緩やかになった。うまく対応すれば、今の状態を半年くらいは保てるかもしれない。
毎朝、格闘するように母を玄関に連れ出して車椅子に座らせる。車椅子で外に連れ出すと、頭も身体もしっかりする。自然は人を力づける不思議な力を持っているようだ。
母が家にいる間は目が離せない。殊に夕暮れから深夜までが悪い。ひっきりなしにブザーで呼びつけられ、神経が疲れる。昨日は蓄積した疲労で白目が出血してしまった。しかし、この事態を深刻に考えていない。過大でも過小でもなく、あるがままに対応している。
今の母はいつ終末期に入ってもおかしくないが、具体的な対策は何も考えていない。今は、出たとこ勝負、身につけた知識で一つ一つ対応して行こうと思っている。
36年間、ずーっと老人の扶養をしていて、母の手助けをしていた。しかし、母が老いてしまった今は、介護できるのは私一人だけだ。この介護は想像以上に厳しい。週一回、姉が小1時間だけ手伝ってくれるが、その一瞬だけが開放された時間だ。
母が逝けば重い喪失感に苦しめられるだろう。だが同時に開放感もある。親の介護をした者と、しない者の違いは、喪失感の受け止め方かもしれない。
昨日、キムチを漬けた。昔は本式に漬けていたが、今はインスタントのキムチの素を使う。
昔とは小学生の頃だ。私はキムチを自分で漬ける変な子供だった。九州は大陸や朝鮮半島からの引揚者が多く、近所で本格的なキムチを食べる機会が多かった。そのような環境の中、私は知らず知らずに漬け方を覚えた。
韓流ブームで韓国旅行へ行かれた方は多く、本場キムチの多様さをよくご存知だろう。
子供の頃の作り方は沖アミの塩辛で塩味をつけた。野菜は白菜をベースにダイコン、人参、リンゴを加えた。リンゴの代わり梨を使う人もいるが、私はリンゴの甘酸っぱさが好きだ。
今は生協ブランドの「白キムチ、早漬けの素」を使う。材料の白菜とカブを熱湯をくぐらせ少ししんなりさせる。それにキュウリとリンゴをたっぷり加えて漬け込み、冷蔵庫で寝かせる。
戦前、母が半島で食べたのは、地中に埋め込んだ大ガメに漬け込まれたキムチだ。それは鯛の白身をつけ込んだ高級品で、氷を割って取り出した鯛キムチは大変美味かったと今も話す。
赤羽自然観察公園のマユミ。
母は花に「マユミちゃん。」と声をかける。
これから紅色に美しく紅葉する。
赤羽自然観察公園入り口柵の山ブドウ。
今の時期、例年なら色づいても酸っぱいのに、今年のブドウは甘い。
散歩コースの桐ヶ丘団地の夏みかんは大きな緑色の実をつけていた。
緑のミカンを見ると、郷里日南市立大堂津小学校の運動会を思い出す。
昭和20年代の運動会は町をあげての大イベントで、町中の老人や子供が見物に集まった。我が家は小学校近くで、毎年、午前5時にムシロを持って出かけ、貴賓席の直ぐ隣の一等席を確保していた。
運動会には出店が出た。その中に、戸板の上に緑色の早生ミカンを山積みにした農家の店が必ずあった。今と違い、早生の栽培技術は未熟で、とても酸っぱいミカンだったが、香りが良く、喜んで食べていた。
開場前の8時頃に教師が運動場の真ん中からドンを打ち上げた。ドンとは子供が勝手につけた呼び名で、正式には段雷(ダンライ)と呼ぶ昼花火だ。青空にスルスルと打上がり、閃光を放ってドンドンドンと音を響かせるのが実に爽快だった。
その後は大騒ぎで、子供たちは青空を見上げながら半球に割れた花火の殻を拾いに駆け出した。私は風向きを見るのが得意で、いつも先回りして殻を拾うことができた。焦げ目と煙硝の臭いが残った紙製のお椀は子供たちの自慢だった。
ドンは東京都内でも昭和50年代まで打ち上げられていたが、いつの間にか禁止された。その頃、日曜の朝、遊びに出かける時に聞こえた音がとても懐かしい。時には子供の頃のように殻を拾いに行った。その殻は仕事机の片隅で、つい最近まで小物入れに使っていた。
運動会の100m徒競走は、1等は無理だったが2,3等は何度も取った。2等賞とゴム印が押されたノートを母の席に預けに行く気持ちは、高揚して晴れがましかった。
観客は漁師の家庭が多く、豪華な重箱と焼酎が持ち込まれ、昼食休憩前から大騒ぎだった。父兄が酔って熱狂し、子供と一緒に駆け出すのを度々教師たちが押し戻していた。今、その漁師町は高齢化し、あの熱狂はない。当時、全校生徒数700人が今は100人を切っている。町は漁師自体が激減し、町民が隣町のスーパーまで魚を買いに行く、ただのベットタウンに変わってしまった。
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