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2009年10月17日 (土)

生まれて始めて、ふらつくほどの過労を味わった。09年10月17日

Sutego_2深夜に何度か母にブザーで起こされた。殆ど眠れないまま朝を迎えると母が粗相をしていた。粗相の処理は慣れているので、大変とは思っていない。しかし、今朝は私の体調がいつもと違っていた。

小1時間かけて母の清浄と汚れ物の洗濯を終えた時、今まで経験したことがないめまいを感じた。それでも、フラフラしながら朝の雑事を済ませ、母の朝食を終らせた。しかし、めまいと疲労が堪え難く、自室に戻って横になった。

血圧も体温も正常。これは過労かもしれない、と思いながら家庭の医学の項目を見たが「過労」は病名にない。めまいの項目は沢山あったが、考えられる病気はどれも当てはまらない。どうやら、単純な過労のようだ。

横になったが、睡眠不足なのにまったく眠れず、めまいも治まらない。加えて、頭痛と吐き気もあった。常備の疲労回復剤を数種飲んだがまったく効かない。吐き気は母のナウゼリンを飲んでみた。ナウゼリンは脳の嘔吐中枢を押さえ、胃腸運動を活発にする。その効果で吐き気はすぐに収まり、10分程寝入った。それだけで寝ている時のめまいは治まったが、立つと相変わらず気分が悪い。トイレへ歩く間、何度も倒れそうになった。その状態でも母は何度も呼びつけるので、具合が悪いと伝えた。

危惧したように母はひどく心配していた。
お昼を用意しても、「心配で食欲がわかない。」と食べようとしない。
「食べてくれないと、かえって気になって治らない。」と言うと、
「一緒に食べてくれるなら、食べる。」と言う。
私は昔から、母と食事をしたことがないが、それならと同じテーブルで一緒に食べた。
ナウゼリンのおかげで食事はのどを通った。母は私が食べるのを見て安堵し、一緒に食べてくれた。
しかし、気分の悪さは治りそうにない。このままでは本当に倒れてしまう、と思った頃に姉が来た。

姉に任せられることは少ないが、気が楽になった。しかし、困ったことに姉は黙っているのが苦手だ。まるで放送局のように母に話しかけ続ける。母は長く話しかけられると疲れるので、注意すると編み物を始めて黙った。

午後も眠れないが、横になっているだけで少しずつ疲れが取れた。姉はいつもなら1時間ほどで帰るが、今日は夕食まで居てもらった。

時折、母の様子を見に行くと、傍らで姉が編み物をしていた。このような家族らしい光景は長く見ていない。しかし、これはすぐに消えてしまう光景でもある。ベットの母はすぐに消え、多分、姉は私より先に逝くだろう。殆ど役に立たない姉だが、家族は良いなと思った。

今まで随分無茶をしたが、これ程に過労の症状が出たことはない。40代半ば、TVCMの仕事で1週間の睡眠総計が2時間と、幻覚が見えるほどに過激に働いたことがある。しかし、身体がふらつくことはなかった。

すでに60代半ば。もう無理はできない年だと痛感した。ケガの巧妙か、私がダウンしたことで母の頭がしっかりしてきた。姉が帰った後も、聞き分けが良く、とても助かった。倦怠感は残っているが、めまいは完全に消えている。あの船酔いのような厭な気分は二度と味わいたくない。

Bus1_2

今、バス停をテーマに描いている。
ほのぼのと、心に染み入る絵にしたいと思っている。
今夜、熟睡できれば明日は元気になっているはずだ。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

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