一方的に得ることも失うことも、人生にはない。10年1月29日
28日木曜日
母はシャワー介助の日。母は起床から朝食までは普通だったが、食後、急に元気がなくなった。
「今日は疲れているから、シャワーはよす、とおっしゃっていますが。」
ヘルパーのOさんが心配そうに言った。体温は平熱。私の感じでは、弱っているとは思えない。いつものように、牛黄と強壮ドリンクを飲ませてみた。
効き目が出るには20分はかかる。その間、私はシャワーを浴びて浴室を暖めた。
シャワーを終えて、「浴びなよ。」と言ったが、母は渋っている。
「大丈夫だから浴びよう。」そう言いながらOさんを呼んで、すぐに母を浴室へ連れて行ってもらった。
「気持ちが良くて、無理してシャワーを浴びて良かった。」
母はシャワーの後、そう言っていた。老人の体調は気分に左右されるので、体調の判断は難しい。最終的な判断はリスクを取る他ない。もし、結果が悪くても諦めることだ。
29日金曜日
母を散歩へ連れ出そうとしたが、ベットから3メートル歩いただけで息切れしている。
何か飲ませてくれ、と言うので救心を二粒飲ませた。
効き目が出るまで車椅子の準備をして、迎えに行くとやや元気になっていた。
東京北社会保険病院下の公園で母を歩かせると、いつもより2メートル長く歩いた。その後、病院のトイレを使わせて、病院庭で熱いお茶を飲んだ。
ツグミが芝生で餌探ししていた。ツグミは野鳥の中で一番美味い。
九州の昔の子供たちは、竹で罠をつくり、二つ切りにした金柑を寄せ餌にしてツグミを捕まえていた。直径20センチ程の竹柵の中にツグミが顔を入れると、細竹の支えが倒され、竹のバネと紐で繋いだ横棒が落ちて首を挟む仕組みだ。
私は成功したことはないが、次兄はよく捕まえ、火鉢の炭火で焼いて食べていた。私が欲しがると「頭が良くなるから。」と頭をくれた。小鳥の頭はサクサクして美味い。その効果か、次兄より私の方が頭は良かった。
そんな昔のことを母と話しながら緑道公園へ行った。
今日は暖かく、歩道脇にはユキヤナギが数輪咲いていた。既に春の気配だ。
写真1
緑道公園の沈丁花は開花寸前だ。
写真2
路傍にカキドオシが咲いていた。
写真3,4
桐ヶ丘の水仙2種。
写真5
緑道公園の母。
無性に赤羽自然観察公園へ行きたくなることがある。しかし、行けば昔の豊かな自然を無くした喪失感に捕われる。
以前は、母が死んだら、遺骨を密かに公園に撒いてやろうと思うほど好きな公園だった。
今は、人生は予定通り行かないものだと、痛感させられている。
子供の頃は希望ばかりで、喪失感とは無縁だった。喪失感に悩み始めたのは思春期辺りからだ。失恋、思い通り行かない仕事や人間関係と、失うものばかりが気になった。それで、努力して多くを得てみると期待したほど満足感がない。もっと多くと強欲になるだけだった。逆に僅かしか得られないものは大切にし、その価値は高まって満足した。ものの多寡は、幸せに関係ないようだ。
午後は池袋東武へ行った。6階で絵本作家の宮崎照代氏が個展をしている。案内状に丁寧な手書きの一文が添えてあったので、行くことにした。
宮崎氏と少し雑談して直ぐに辞した。ヤマダ電機、世界堂と回り、プリンターインクと水彩用ボードを補充して、6時かっきりに帰宅した。
母は何事もなくベットに寝ていた。母が弱ってからは、短い外出もむつかしい。母が逝けば自由に外出できるが、喪失感に悩むことになるだろう。得るものがあれば失うものがある。失えば得るものがある。人生はままならないようで、巧みに救いを用意している。
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