« 50年前の失業者と今のホームレスの違い。10年1月10日 | トップページ | 貧乏を楽に克服する方法。10年1月13日 »

2010年1月11日 (月)

私が赤羽自然観察公園へ行かなくなった訳。2010年1月11日

赤羽自然観察公園の名称に自然観察とあるが自然観察には不向きな公園だ。自然の多様性は貧しく、皮肉にも普通の公園の方がはるかに自然豊かだ。この公園は古民家と田圃、野外炊事施設と運動場がある都市中公園と思ったが良い。

現在の赤羽自然観察公園は里山回復を目的としているが、管理に行き過ぎを感じる。近年、里山が注目され、民間ボランティアの手で各地で復活が行われている。しかし、里山回復運動の多くに大きな勘違いがある。元々あった自然に人手を加えて里山回復とするのは、自然保護の理念を大きく逆行させるものだ。

自然は自然であることに価値があり、自然公園の名を冠するならば、人との共存を考慮する必要はない。里山は自然保護の次善の策であるにもかかわらず、里山を理想的な自然の姿と捉えるのは大きな誤りである。

2012年の状況は、以前は回復していた日本在来種の草花、ツタ植物は里山回復の名目のもと壊滅してしまった。樹木も無謀な剪定の為、自然の姿にはほど遠い。この公園はもともと樹木はまばらな上、縦横に遊歩道が巡らされているので風通しは良く剪定の必要はなかった。

Ibara1Ibara_2KoenXkusa_5Xkusa_3Xkusa_6写真1は2009年5月の元気に生い茂っていたノイバラ。
写真2は2010年10月のノイバラが刈り取られた跡。

石垣のノイバラは真夏の強い日射しの照り返しを和らげていた。秋になるとノイバラは紅葉し、実は赤く熟して宝石のように美しかった。それが今は、写真2のように刈り取られ味気なくなった。

2013年6月、ノイバラは回復していた。その姿が維持されることを切に願っている。

写真2石垣上の黒い標識は「ノイバラ」の名札だが、その回りまで刈り取られ意味をなしていない。
通路脇にはムラサキツユクサや乾燥した礫地を好むキリンソウ類が繁茂していたが、完全に除去された。

2013年6月、キリンソウは回復していたが、ムラサキツユクサは殆ど回復していなかった。
昔、ここのムラサキツユクサの群落は、都内では希なほどに見事だと褒めていた専門家がいただけに残念だ。

写真3は手入れされた、カシ類やウツギの下。
以前は日影を好む草花が生えていたが、根から抜かれてしまい、寒々しくなった。

写真4は草刈り機で刈られた下草。名札を立てた珍しい草花があったが、それごと刈り取られてしまった。

写真5は再び勢いを増したセイタカアワダチソウ。
公園建設当時は外来種のイヌタデに覆われていた。やがて、入れ替わるように外来種のセイタカアワダチソウが繁茂した。

それらの外来種は痩せた荒野を好み、土地が肥沃になるにつれ、日本本来の在来種に入れ替わる。それゆえパイオニア植物と呼ばれている。

2006年あたりには、パイオニア植物は在来種に殆ど駆逐されナデシコなどが回復していた。しかし、その後の草刈りにより荒地化し、再度セイタカアワダチソウが勢いを増して来た。それを「草抜きをさせないから外来種が茂り始めた。」と来園者に誤解を与えている。

写真5のセイタカアワダチソウが群生している辺りに、2008年ありにはナデシコが群生していた。

写真6は管理棟のツタ。
2006年あたりからツタは根元で切断されて枯れた。
屋根のツタは管理事務所辺りから伸びたツタ。切った者は管理人の目を避けて、その辺りは切らなかったと思われる。枯れたツタは来園者に陰惨な印象を与えている。下の方に僅かに見られる緑は、切られた後に再び伸びて来たもの。

ちなみに、管理棟は最初からツタを這わせる計画のもと作られている。そのため、壁際にツタが生えるために土が露出させてある。

-------------

2010年1月11日の記入に戻る。

Haha_1Sizen_2Sizen_3_2母は7年前、90歳での肝臓ガン手術後衰弱し、余命2年と思われた。それで最後の親孝行にと、車椅子で赤羽自然観察公園へ連れて行くようになった。豊かな自然に接した母は見違えるように元気になった。

後年、公園の自然が損なわれてからは、母も私もストレスが溜まるので行くのを止めた。

真夏、公園北斜面の遊歩道に母が一休みするナツグミとヌルデの木陰があった。北斜面は木蔭が少なく、酷暑の夏はオアシスのように貴重だった。2009年11月、その歩道側のナツグミの茂みとヌルデが根元から切り倒され、木蔭がなくなってしまった。理由は以下のようなものだ。

ヌルデは老朽化で枯れる恐れがある。ナツグミは業者が間違って植えたビックリグミで、他の植生に悪影響を及ぼす。
しかし、他の木に影響するはずの奥のビックリグミは無傷で残され、木蔭を作ってくれた歩道脇の5,6本のグミは総て伐採された。枯死するはずのヌルデも奥の成木は残され、木蔭を作っていた若木が切られた。この不合理さは理解できない。

「どうして、グミを切り倒したんだ。」
その頃、切り株の傍らで老人が怒っていた。老人は夏の頃、ルビーのようなグミの実を見上げながら、少年時代の思い出を話してくれた。

長年通っていた私たちには多くの老人たちが話しかけてくる。
「草だけでは飽き足らず、今度は木まで刈り込み始めた。」
顔馴染みの老人が怒りまくっていた。

今も次々と、太い健康な枝まで切り落す無謀な剪定が続いている。園内で、唯一無傷だったスダジイは、先日剪定が始まった。注意すると止めたが、理由は茂り過ぎているからと、意味不明のものだった。この公園の樹木は疎らで通路が縦横に作られているので、下草まで日光は十分に射し込み茂り過ぎは考えられない。

枝を落す理由は、「通行の邪魔と抗議があったから、」と公園課は言っていた。しかし、8年間、毎日通っていて通行の邪魔に感じたことは一度もない。雨で濡れ重くなった枝が下がって、葉が額に触れたことがあったが、それは避ければ済むことだ。自然観察公園である以上、それくらいは自然の趣として許して欲しい。

「枯れ枝が落ちそうで危険だから」との抗議があったと公園課は言っていた。しかし、枝打ちしているのは健康な枝で、危険な枯れ枝ではない。私は公園内の危険な枯れ枝を総て掌握している。手が届く枯れ枝は私が片付け、手が届かない枯れ枝は管理事務所に報告し、すぐに処理されていた。顔を傷付けそうな尖った枯れ枝も切り落し、子供たちの安全を図った。

伐採しているボランティアたちは、通行に関係ない奥の樹木までバッサリ切り落している。一般公園でも、そのような乱暴な剪定は行われていない。公園課が黙認している訳は、伐採をしているグループが、公園課の手間を減らしてくれる都合が良い存在だからだ。公園課は事なかれ主義で、自然観察公園が本来あるべき姿など、どうでも良いと考えている。

園内に1本だけあったコウゾの立派な成木は根元から伐採された。カシ類、エゴノキ、ナラ、ウツギ、園内の殆どの樹木の太い健康な下枝がバッサリと切り取られ、ヒョロヒョロとした寒々しい風景に変わった。繰り返すが、この公園の樹木は疎らで、間引きを前提に植えられたドングリ類を除いて剪定の必要はない。

元々疎林だった公園の樹木の下枝がなくなると、何年もかけて形成された腐葉土は乾燥し、風に飛び雨に流され、土地は痩せ、土砂崩れの恐れすらある。更に、最近は草刈り機で下草と一緒に実生の幼木や多年草が短く刈り取られている。更に、繰り返し熊手が入れられるので、丈のある野草は育つ間がない。先日は草原に孫が植えたドングリの幼木が切られてしまったと、おばあさんが嘆いていた。

以前の冬は、寒さから枯れ草に守られて沢山の動植物がいた。冬のニガイチゴの茎は紅色で美しかった。今、それらは芝生のように短く刈り込まれ、生物相は貧しい。冬は伐採と剪定と草刈りで見通しの良くなった木々の間から寒風が容赦なく吹き付ける。

一般道との柵の辺りの枯れ草にタバコが投げ入れられ、火災を起こしたことがあった。それを理由に大規模な草刈りがなされた。それは、難燃性の常緑灌木を植えることで防止できる。園内の枯れ草がタバコの火で燃えたことがある。こちらはモラルの徹底で防止すべきだ。

この公園は自然放置地域と手を入れる里山地域に分けられる。自然放置地域は公園奥深く鉄柵で囲まれ立ち入りは禁止されている。そこは自然が保たれているが、歩道からは遠く、草花や樹木を身近に観察することはできない。

里山地域の枯葉は園内の稲田の有機肥料作りに利用される。しかし、枯葉集めは拡大解釈され、不必要な場所まで熊手が入れられ、自然の草花が剥ぎ取られている。しかも、集められた枯葉の多くは利用されないまま積み上げられ、一部は燃して灰は区の費用でゴミとして捨てられている。

後日、枯葉の堆肥は木の根元に戻され、それでも使い切れない堆肥は来園者に配って、落ち葉集めを正当化しようとしている、と聞いた。そんなことをするくらいなら、始めから枯れ葉は放置して、自然に腐葉土に変えるべきだった。

里山地域の現状を記す。
ホトトギス、ホタルブクロ、野ユリ、ナデシコ、ニガイチゴなどの丈のある野草は草刈りで壊滅。
三つ葉アケビ、スイカズラ、エビヅル、ヘクソカズラなどのつる性植物は剪定で壊滅。
歩道脇の石垣や砕石部分の乾燥地を好むキリンソウなどは生えるとすぐに除去。
石垣を覆い、夏の照り返しを防いでくれる野イバラは不必要に剥ぎ取られている。
大群落を作るムラサキツユクサは花を咲かせると同時に刈り取られている。
水飲み場傍らに茂っていた梅花ウツギは無謀な剪定で枯死。
ニガイチゴの群落は草と一緒に刈られ壊滅寸前。
管理棟の蔦は伸びるとすぐに茎が切られ、上半分は枯れて陰惨な姿を曝している。

以上は壊滅した植物の一部で、全体は多過ぎて把握しきれない。
自然の多様性が失われるに従い、野鳥の数も種類も減った。
秋になると数多く舞っていた赤トンボは、去年はほとんど見かけなくなった。

それらへの抗議の張り紙が、来園者によって何度も園内に貼られたが、すぐに剥がされてしまった。今の状況なら北区公園課は「赤羽自然観察公園」の名から「自然観察」の文字を外すべきだ。ただの「赤羽公園」なら何も言わないし、このような記入もしない。しかし、その名を保ちたいなら、多様な自然観察ができるように守って欲しい。

とは言っても、一切手を入れるなとは思っていない。外来植物を除去し、生命力が強いクズやススキのように、他の植物に大きな影響を与えるものを間引くのは自然だと思っている。

赤羽自然観察公園はスロープと手摺が儲けられた高齢化社会にふさわしい先進的な公園だ。しかも、都会にいながら自然を楽しめる貴重な公園だった。その評判を聞いて、遠く立川や、川向こうの埼玉県からも多くの人が来園していた。

以前、登校拒否の女子中学生が、毎日、園内で過ごしていたことがあった。暗い表情だった少女は自然とふれ合うことで少しずつ変化し、私たちに挨拶するまでに明るくなり、学校へ復帰して行った。

4年前の初夏、いかにも不良らしい派手なタトゥーを入れた少年3人が橋の手摺にもたれて、湿地に自生する黄ショウブを眺めていた。
「何だかとてものんびりする。この気分はなぜだろう。」
少年の一人が穏やかな表情でつぶやいた。見かけに似合わない言葉は、今も鮮烈に記憶に残っている。

これは様々なエピソードの一部だ。もし、赤羽自然観察公園がどこにでもある普通の都市中公園だったら、このような穏やかな言葉や、癒し効果は生まれなかった。老人から子供まで惹き付け、豊かな気持ちにさせることもなかった。それが今では、皮肉にも近所の東京北社会保険病院下の公園や都営桐ヶ丘団地の方が遥かに自然豊かだ。

その一方、「雑草を刈って芝生にして、木は切り倒せ。」と多様な自然を乱雑だと嫌う来園者がいる。
そのような後押しと、里山回復の名目のもと、行き過ぎた草刈りと伐採が始まった。

一般来園者にも今の管理方法に不満を持っている人が多くいる。しかし、私たちと同じように大切なリハビリの場なのでトラブルを避け黙っている。北区公園課に抗議する者もいるが殆ど黙殺されている。

管理派に「今の剪定のやり方では多様な自然を壊すのでは」と質問したことがある。
「自然木は枝打ちをしないと育たず枯れてしまう。」と彼は答えた。
芝生のように草刈りし、熊手で地面を引っ掻き、樹木の枝を剪定しないと自然が育たないとすれば、明治神宮のような豊かな森は存在しないことになる。

自然回復の成功例の明治神宮の杜では、自然の木には手を入れず、参道に倒れたものを除いて倒木はそのまま放置している。枯葉は堆積させるのが原則で、参道に舞い落ちた枯れ葉も樹下に戻している。それを営々と続けた結果、あの豊かな森が生まれた。

赤羽自然観察公園での行き過ぎた手入れは里山の復元が名目になっているが、草木を残す残さないの基準は、個人的なし好で決められている。山ブドウ、アケビ、ヘクソガズラなどのツタ植物や多年草は徹底的に排除されている。自然を破壊するのは常に人の側だ。赤羽自然観察公園は子供たちの自然保護教育の場でもあるが、現状では子供たちに誤解を植え付けるだけだ。

一歩下がって里山を是としよう。
しかし、里山は牛馬の飼い葉の刈り取りや堆肥用の枯れ葉集めによって形成された自然で、庭いじりのような個人のし好で育成された訳ではない。実際の里山は今の赤羽自然観察公園より、はるかに豊かで多様だ。

伐採については、里山では薪や炭焼き用にクヌギを伐採して来た、との反論がある。それは、伐採のあと休養期間を保てる田舎の広い里山で可能なことで、都内の狭い自然公園にあてはめるには無理がある。そもそも、この公園は伐採が必要な程に樹木は多くない。

里山が注目されたのは、人の生活に役立ちながら、多様な自然を保っているからだ。管理派のグループが作り上げようとしているのは里山ではなく、どこにでもある都市中公園だ。
以上の理由で、私たちは赤羽自然観察公園行きを止めた。私と同じ気持ちで公園から去って行った人は多く、今でも街で会うと不満を漏らす。

今、始めて赤羽自然観察公園へ行った人はこんなものだと思うかもしれない。しかし、以前の豊かな自然を知っている者は、公園に行くと深い喪失感に捕われる。園内の古民家に、以前の公園の自然を写したアルバムがあるが、そこに写された草花の殆どは壊滅しまった。

私は多くの利用者の不満を代弁してこれを書いた。
後日、意見箱が管理事務所に置かれたと聞く。しかし、今の管理方法に不満を持つ者の大半は公園を去った。その状況で正しい言葉が集まるとは思えないが、希望は持っている。

母は赤羽自然観察公園行きを止めてから次第に弱り、2010年7月1日に死去した。
公園行きを続けていれば生きていたとは思っていないが、複雑な思いが残った。


2012年10月
先日の夏日、久しぶりに赤羽自然観察公園の古民家を訪ね、誰もいない座敷に上がっていつものように畳に横になった。畳の冷たい感触を背中に感じながら、天井のシミを見上げていると安らいだ。開け放った障子の向こうに自然林が見え、吹き抜ける涼風が心地よかった。

横になって2分もたたないうちに新人の係員が飛んで来て横にならないでくれと起こした。8年間、毎日、母の車椅子を押して来て、畳の上で横になって休息していたがそんな注意は一度もなかった。係員に聞くと、先日親子連れが1〜2時間ほど寝ていて、他の客が大迷惑していたからと答えた。

古民家はいつも閑散としていて、そのように文句を言っている客など一度も出会ったことはない。以前の顔なじみの係員たちからは「どおぞ上がって横になって休んで下さい」といつも勧められていたくらいだ。伝統的な畳に横になり、天井を見上げながら開け放たれた廊下からの自然の風を楽しむ。これは日本の蒸し暑い夏を過ごす文化で伝統でもある。ごく少数の讒言に従って改悪したのなら極めて残念なことだ。

2013年6月
行き過ぎた手入れは今の所おさまっている。これから先、例年のように徹底的な草刈りと剪定が始まるのか、見守っている。

2013年9月
草刈りは行われていなくて、自然はほどよく回復していた。しかし、涼しくなれば、草刈りと剪定が始まるかもしれない。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 50年前の失業者と今のホームレスの違い。10年1月10日 | トップページ | 貧乏を楽に克服する方法。10年1月13日 »