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2010年1月10日 (日)

50年前の失業者と今のホームレスの違い。10年1月10日

9日土曜朝、
「疲れて起き上がれない。このまま、死ぬまで寝ている。」
母は起きようとしない。
「死ぬまで寝ていたら辛いだけだ。
起きて、散歩へ出て、景色を見て、人と話す方が楽しいよ。」
励ましながら起こすと、
「そうだね。」と、母はソロソロ起き上がった。
母を見ていると、生きているとは何か、深く考えさせられる。日本は世界一の長寿国だが、それが必ずしも幸せ感に繋がっていない。ベットに固定されての長寿では意味がない。

夜、NHKで、相次いでガン死した初老夫婦のドキュメンタリー「二本の木」を見た。淡々と二人のやり取りを描き、愁嘆場を排除した構成は却って悲しみを伝えていた。妻の死を間近にした夫の辛さや喪失感はとてもよく分かる。夫の声の片岡仁左衛門は感情を抑えて朗読していたが、時折、読むのが辛くなって声がくぐもった。様々な死別のストレスの調査結果では、夫が妻を失う辛さが図抜けて高い。対して、高齢の母を失う喪失感は自然で受け入れやすい。

午前中、早めに散歩を済ませ、帰宅すると姉が来ていた。昼食後、画材が足りないので、姉に母を頼んで新宿へ出かけた。最近母が弱り、2,3時間の外出も難しい。しかし、お金がないので、遊びに出たいとはまったく思わない。絵を描くのは、私にとって遊びだからかもしれない。

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写真、出がけに玄関前から浅間遠望。

今日買うのは鉛筆画を入れる透明ポケットで、新宿世界堂本店にしかない。これがないと鉛筆の粉が散ってしまう。画材のほとんどは池袋の世界堂で間に合うので、新宿へ出るのは2008年暮れ以来だ。土曜で、新宿は若者たちで混雑していた。池袋では出会えない可愛い子が目につく。誰かが、「池袋は埼玉県人を都心に侵入させない防波堤だ。」と言っていたが、確かにそう思える。

世界堂は相変わらずアート系の客で溢れ、レジに長蛇の列ができていた。
その後、池袋へ回り、ヤマダ電機でプリント用のスーパーファイン紙を買った。エプソンの250枚入りが1500円。ポイントを使って買えたので助かった。

帰り、出口近くに展示してあったシャープ・アクオスの巨大画面を見た。ハイビジョン巨大画面の臨場感は抜群だ。映像は若い女性グループのライブで、ダンスも音もデザインもテンポが良い。昔と違い、日本の芸能は完全に独自性を身につけ、世界でもトップ水準に達している。20分ほど、ついつい見とれてしまった。

ヤマダ電機から池袋駅への連絡通路にホームレスが寝ていた。50歳前後だろうが、痩せて青ざめた顔は70歳の老人に見える。風邪を引いているのか、絶えず咳き込む。気の毒で胸が塞がる思いで通り過ぎた。

電車の中で、ふいに昭和36年の大晦日を思い出した。
宮崎県北の大崩山の登山帰り、皆で延岡のうどん屋に入ると店の片隅の席に貧しい身なりの父子がいた。父親は40歳前後、息子は10歳ほど。美味そうにうどんを啜る息子を父親は黙って見ていた。その一杯のうどんが父親からの精一杯の御馳走だったようだ。
父親は失業した上に身体を壊している様子だった。連絡通路のホームレスと、その父親の表情が重なって思い出された。

当時は戦後16年。戦災復興後の高度成長期の始まりで、すでに、そのような極度の貧しさは珍しかった。ホームレスはいたが殆どは心を病んだ人で、今のような就業意欲のあるホームレスは殆どいなかった。当時は今と比べると極端に貧しかったが、誰でも家庭を持ち子供を育てることができた。比べてみると、今の貧しさは遥かに暗く深刻だ。

10日日曜
夕刻の日テレ報道番組「バンキシャ」で派遣村を取り上げていた。
ゲストの長妻昭厚生労働大臣に河上和雄(元東京地検特捜部長)が対策が不十分と噛み付いていた。就職活動費に2万給付したが、200人ほどが遊興費に使い行方不明になったこと、就職活動の成果が上がっていないこと、それらへの抗議だ。就業に関しては、需要の大きい介護分野が失業者に嫌われている現状では難しいかもしれない。
番組中で河上氏が、従来通りの公共事業が受け皿として効果があると主張していた。しかし、それは40年前の感覚で、今の土木工事では労働者を多く必要としない。

40年前の工事現場は人で溢れていた。穴を掘るのも、資材を運ぶのも、コンクリートを練るのも、人手に頼り、殆ど機械化されていなかった。しかし今は、小さな道路工事でも機械を使うので、昔の10分の1の人手で間に合う。対して、人手に頼る介護現場の費用対就業効果は公共工事より遥かに大きい。初老の河上氏はその現状を知らないようだ。


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